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【小説】午後四時奇襲作戦

 午後4時、動画編集の気分転換にカフェに行くことにした。カフェは至極苦手だが、憧れの場所だった。カフェでパソコンをカタカタと鳴らすエリート(風?)サラリーマンをガラス越しにいつも眺めている。僕はいつもそのエリート達を蔑んでいる。あえて通行人に見えやすい位置で作業をする承認欲求丸出し人間だと、言い聞かせている。言い聞かせていると言う自覚があると言うことは、内面妬んでいるということも同時に自覚している。今日はその妬みを脳から排除する記念日になる。僕もエリート風の一員になる。実際自分はエリートではないから、この場合はエリート「風」であっているだろう。
 第一、コーヒーは苦手だ。なぜ人はあんなに黒くて苦くて熱い飲み物を好むのか、意味が分からない(熱い?)。窓越しのエリート達も、すました顔で飲んでいるが実は苦手で、堅忍の精神でコーヒーを飲んでいるのではないか。彼らはもはや作業をしているのではなく、修行をしているに違いない。そしてコーヒーが苦手な理由はもう1つある。それは小学生時代の担任の先生がきっかけだ。僕は担任の先生に近づきたくなかった。その先生は、煙草とコーヒーを隙あらば摂取する。隙あらば親の目を盗んでゲームをする自分達と何ら変わらないなと、あの頃は呆れていた。おかげさまで、先生の口からは毒性のガスを放つようになった。「悪臭先生」と僕は名付けるとともに、反面教師として見習い、自分はコーヒーを飲まないと誓ったのだった。悪臭先生の授業中は、ガスのことしか頭に入ってこなかった。「悪臭先生が1匹、悪臭先生が2匹、、」と、頭の中の柵を悪臭先生が飛び越えていた。僕の成績が低かった原因は、あの先生に違いない。
 僕は今日はコーヒーに手を出さない。狙いは新作の「めっちゃ抹茶フラペチーノ」だ。なんだそのネーミングは。近頃の若者はすぐに韻を踏むと聞くが、こんなにも露骨に足跡をくっきりとつけてくるとは考えもしなかった。足跡をつけられないよう、注意して注文しなければならない。なぜこのフラペチーノにしたのか。それは、「迷った時は新作を選べ!」というカフェの極意6か条の1つを既に心得ているからだ。そして本番で慌てないよう、僕は台本をしっかり用意している。「Lサイズのめっちゃ抹茶フラペチーノを1つ。」と言いつつ、レジに添えてある商品の写真に指を指すのだ。事前に入念な練習をした。「Lサイズのめっちゃ抹茶フラペチーノ、Lサイズのめっちゃマッチョフラペチーノ、Lサイズのめっちゃ悪臭先生と握手フラペ、、」余計なことが脳裏によぎって韻に踏まれてしまうこともあった。練習を重ね、韻に踏まれないと自信がついた今日の午後4時、僕はついにカフェへ入店した。

(カランカラン、、、)

 「いらっしゃいませ!」と、明るい声で女性の店員が迎え入れてくれた。うまくいけば店員との恋も始まるかも、、、と、淡い期待を入店と同時に胸に抱いた。店内はコーヒーの香ばしい匂いと、クッキーの香ばしい匂いが広がっていた。この経験したことのない甘酸っぱくて、突っかかることなく鼻にスッと侵入してくるこの素敵な匂いを「香ばしい」という表現でしか表せない自分を恥じた。僕は余計なことを考える頭を2度横へ振り、レジへ直行した。ここまでは脳内リハーサル通りだ。そして、店員と目を合わすこともなく、メニューと対峙した。
「ご注文はいかがなさいますか?」
 おそらく同年代の女性だったが、母親のような温かい声で包んでくれた。安心した。ナイフのように尖った言葉を至近距離で投げつけてくることも想定していたが、ここは安全地帯であることを確信した。そして僕は右手人差し指を気持ち程度に大きく振りかぶり、

「Lサイズのめっちゃまっ、、、」

 ここで僕の全身が固まった。目が大きく開いた。視線の先の「めっちゃ抹茶フラペチーノ」の写真には、「THANK YOU SOLD OUT!!」のシールが貼られていた。安心しきった胸に突然飛びナイフが突き刺さった。油断してしまった。何も「THANK YOU」ではない。僕は10秒ほど固まった。中途半端に上がった人差し指が、「1人E.T.」を演出していた。
 固まった僕を見かねた店員が、「帽子、かわいいですね」と優しい声をかけてくれた。前を向くことができなかったが、おそらく眉を顰めて苦笑いをしていただろう。この時、僕の頭の中には様々な数式が引き出しから飛び出していた。どの数式も今の状況には当てはまらなかった。今まで数学漬けだった人生を恨んだ。そして、本当の緊急事態用で考えていた台本を引き出しから引っ張り出し、血反吐で汚れた台詞を吐いた。

「ホットコーヒー、1つで、、、」

 「1人E.T.」の指を少しづつ上向きに修正し、「1」を作り上げた。我ながらよくできた緊急回避だと自負した。とびきりの笑顔で注文を承った店員は、すぐにコーヒーを持ってきてくれた。僕は店内で前を向くことなく、窓際ではなく奥のテーブル席へ、そそくさと逃げた。今日の奇襲作戦は失敗に終わった。
 席に着くと、僕は砂糖とミルクを余すことなく黒の中へ溶かした。黒から泥色に変わった。これならいけると助走をつけて飲んだが、まだあまりに苦かった。少し大きめの音で咳き込んでしまった。自分でも驚いて辺りを見回した。すると、隣の席に座っていたおじいさんの飲み物が目に入った。ミルクだった。「これだ!」と頭の中の手を叩いた僕は、恐る恐るおじいさんに話しかけた。
「すみません、、そのミルク、これに少し入れていただけませんか、、、」
おじいさんは、一瞬「?」マークを20個付けたが、すぐに微笑んで、
「構わんよ、もう温くなっとるけど。」
と快く了承してくれた。今日は土壇場での立ち回りが冴えていると、これまた自負した。
おじいさんのミルクを加えたホットコーヒーは美味しいとは言えないが、程よく温かくなって、棘が綺麗に抜けたまろやかな味になった。カフェは悪くないなと、その瞬間は感じた。
 この傷が完治したら、またここで奇襲作戦を実行しようと心に決めた。次の台本も考えた。「ホットミルクと、店員さんの連絡先を下さい。」だ。
次は必ず成功すると誓い、温いコーヒーを一気に流し込んだ。

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