編む彼女をみる
月の狩人の放ったとされる弓矢の先が展示されるらしく、ハテノ博物館はものすごい行列だった。
「三時間待ちだって」とケプカが云いました。ケプカは同じ学部の友人で、今は彼氏と同棲している。
「帰ろうか?」とわたしは提案した。見たいと言い出したわたしに彼女を付き合わせることに少なからず罪悪感を感じていた。
「いいよ、わたしも見てみたいし」とケプカは云った。「後ろもすごいし。ここで抜けたらもったいないよ」
ありがとう、とわたしは言った。博物館の学芸員が行列に並ぶ入館客に気を遣って簡易的な組み立て椅子を貸し出してくれていたから二つ借りてきた。トートの中から銀色の水筒を取り出して、コップになる蓋にお茶を注いでケプカに渡した。お茶から湯気が立ち、その湯気越しに寒さのために赤くなったケプカの鼻頭を見ていた。彼女の鼻は、彼女の顔のパーツの中でも特に可愛らしくてわたしは大好きだった。
「大事に飲まなきゃね」とケプカは云って口をつけた。
「卒論、どんな」とわたしは訊いた。
「全然」
「わたしも」
向こうの列に並んでいるゆめみまどうの女の子が編み針で何か編んでいるのを見ていた。
「妹がね、地元のふれあいパークでバイトしてるんだけど」とケプカが云った。ケプカも、あの編み物をしている子を見ているんだと思った。
「うん」
「そこで飼育されてる福々蛾が可愛いって云って、しょっちゅう動画送ってくるの」そう云って取り出した携帯から動画を見せるムーブをした。
「え見たい」
ケプカはコートのポケットから携帯を取り出して動画を見せてくれた。頼りない前脚を器用に使って触角の手入れをする福々蛾の動画に思わず可愛いと声が出て、ケプカが、でしょ、と共感する。動き出さない列の中で、私たちはちいさな福々蛾を見ていた。
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