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【超短編小説】シンクレアの行方は杳として

 天才と言われて私が思い出すのはアインシュタインでもゲーテでも、ましてデヴィッド・ボウイでもジョン・レノンでもなく、ビル・シンクレアである。彼の名はすでに歴史の無慈悲な土砂の下に埋もれてしまったとはいえ、私たち全員の記憶の端っこの方にはまだ痕跡をとどめているはずだ。シンクレア(敬意を込めてこう呼ぼう)は紛れもなく、一時代を画したファッション・デザイナーだった。まだ20代の頃衝撃的なデビューを飾ったが、完全に無名だった彼がミラノのファッションショーで巻き起こした一大センセーションは語り草になっている。彼のドレスは大胆過ぎて観客の間に激烈な嫌悪の念を呼び起こした。彼の有名な赤、あのまばゆく燃えるルビーを煮詰めてギュッと押し固めたみたいな悪魔的なカーマイン・レッドは、人々の顰蹙を買った。要するにシンクレアのドレスは歴史的な大ブーイングを浴びたのだが、女優のジャンヌ・モローだけは別だった。ショーの後リムジンに乗り込みながら、彼女はこう言った。「シンクレアは大馬鹿か、服飾の歴史をひっくり返す天才かのどちらかだわ」

 奇妙なことに、ブーイングを浴びせた人々のほとんどがシンクレアのドレスをすぐに忘れ去ることができなかった。彼らはモード雑誌を開いてはそれと意識せずに彼の名を探し、テレビをつけては何とはなしに彼の話題を待ち侘びた。一週間経ち、ファッション界は今何か前例のない、尋常ならざることが起きつつあることに気づいた。そしておそらくはそれを、後世の人々は刮目すべき偉業と呼ぶであろうことに。こうしてシンクレアは時代の上に妖光ゆらめく巨大なシルエットを投げかけたわけだが、不思議なことに、つまり誰もが首を傾げたことに、彼は沈黙した。というよりも正確には、遁走した。一切の活動を中断して、誰にも何も言わずに行方をくらましてしまったのだ。戸惑いと無責任な憶測が広がり、時が経つにつれて関係者達の安寧と安眠をかき乱したが、シンクレアの行方は杳として知れなかった。この沈黙は10年間続いた。

 完全に忘れさられた10年後、またしても突然シンクレアは人々の前に姿を現した。慎重に秘匿され、段取られたミステリアスなファッションショーが慎ましくアナウンスされたが、一週間前になるまで、それが何なのか誰も知らなかった。業界の有力者でさえ蚊帳の外に置かれ、のちに、それを知っていたのはシンクレアの13人の側近たちだけと噂されることになる。この電撃的なシンクレア再降臨の発表後、ファッション界は天地がひっくり返るような騒ぎとなった。悪質な悪戯だと憤激する者、天才の所業と賛美する者、政府のスキャンダル隠しだと憶測する者、愚かしい見せ物と冷笑する者、議論する者、誹謗中傷する者、泣き崩れる者、笑い転げる者、その他もろもろが出現し、あるいは跋扈した。そして怒号と称賛渦巻く中、あの珍しく涼しい南風が吹く美しい夏の宵に、ショーの幕が上がった。

 人々が期待したものが何であったにせよ、そのイベントはそれを凌駕していた。それはファッションを超えた一個の芸術的イベント、あるいは神秘的イベント、もしかすると宗教的イベントですらあったかも知れない。観客席の人々は誰か他人の夢の中に迷い込んだみたいなおぼつかない心持ちになったが、それというのも最初、舞台の上に登場したモデルが何を身に纏っているのかはっきり見定めることができなかったからだ。観衆は一人残らず瞬きをし、目をこすり、ブルブルと頭を振って、また目を凝らした。そこにあるのは人よりもむしろ自然現象に似た何かだった。都会を逃れて山や海に行って瞑想するさなかに唐突に舞い降りてくる、あのえもいわれぬフィーリング、つまり自分が何か宇宙的に巨大なものと繋がっているという感覚、そんな何かだった。

 ひとり目のモデルが纏っていたのは霧で作られたドレスだった。それは漠とした哀しみ、瞑想、曙光さす田園の記憶、遠い英国的な郷愁へと観客を誘った。次のモデルは虹で織られたドレスを身につけていた。霞むような七色の光の帯が空へ、水平線の向こう側へと伸びていき、幼い日に置き忘れてきた夢と異国への憧れをかき立てるようだった。それから落葉のドレスがやってきた。赤や黄色の落葉がハラハラと舞い、どこからともなく鼻にツンとくる焚き火の香りが漂ってくる。私たちはいつしかコネチカットの秋の空気を呼吸し、芝生の上を駆け回るゴールデンレトリバーの鳴き声を聞いていた。次に現れたのは残照のドレス。日没時、太陽が峡谷の向こうに沈んだ直後に空があかあかと残照に染まって壮麗なキューポラをかたち作る、あの瞬間の敬虔で安らかな情緒が私たち全員を包み込んだ。

 その後風のドレス、蜃気楼のドレス、飛行機雲のドレスなどが登場したが、これ以上続けても無意味だろう。ファッションの歴史に関心がある者なら誰でも、あのショーが巻き起こした前代未聞の喧騒を知っている。シンクレアを神と崇める信者を大量に輩出した一方で、極めて悪質な詐欺だと非難する人々が出現した。もちろん、それは避けがたいことではあった。シンクレアのショーは魔術的と形容する他なく、あの夕べに実際に起きたことが何なのか誰も説明できなかったからだ。否定派の過半数が、あれは薬物を使った危険な集団催眠ショーだったと主張した。シンクレアは観客に幻覚を見せたのだと、そして自分自身を神の如き高みに置こうとしたのだと。またある一派は、あれこそは先進的なテクノロジーのデモンストレーションだったのだと言明した。未来的な3Dの驚くべき視覚効果とそれがもたらす来るべきビジョンを、ああいうセンセーショナルな形で一般社会に叩きつけたのだと(忘れないで欲しい、これが起きたのは前世紀末のことだ)。一部の批評家はシンクレアによって衣服の概念が永遠に塗り替えられたと断言し、また別のグループは都会を捨てて自然に還ろうと訴えた。彼らすべてに共通するのは、いささかヒステリックな態度の裏に貼りついた不安感だった。シンクレアの芸術は多くの人々の度肝を抜き、魅了すると同時に、得体の知れない不安と畏怖で彼らを慄かせたのだ。ごく少数の人々だけが、あれは斬新な素材を使ったとってもステキなファッションショーだったよね、と慎ましく意見を表明した。

 いうまでもなく、人々はシンクレアその人からの解説を、謎解きを期待した。熱烈に、熱狂的に、あるいは攻撃的なまでに貪欲に。しかしそこで起きたのは歴史のリフレインだった。シンクレアは沈黙した。そしてまたしても行方をくらました。人々の怒号と悲嘆と阿鼻叫喚を尻目に、彼の姿は地上から忽然と消え失せた。果たしてこれは何なのか? シンクレアの恐るべきイタズラなのだろうか? 私たちはこの言語道断な責苦に耐え忍ばねばならないのだろうか? メディアは絶望的に書き立てたが、ただ四方八方から虚ろなこだまが返ってくるだけだった。

 それらの疑問に対する答えは今もって謎だが、いずれにせよ、この2度目の沈黙は20年間に及んだ。20年後、シンクレアは三たび人々の前に姿を現した。その時彼は過激なヌーディストになっていた。あらゆる衣服に嫌悪感を示し、何ひとつ身につけずにビーチや公園を徘徊し、すぐに逮捕され、保釈されてもまた全裸で徘徊したために刑務所に入れられ、数ヶ月後に獄死した。死んだ時もやっぱり彼は全裸だった。

 彼が何であったとしても、稀に見る天才であったことは誰にも否定できない。彼の死は人類にとって大いなる損失だった。そして世界がもっと寛容で、あのなまっちろい裸体があちこちに出没するのをただ放っておくことさえできれば、私たちは現在よりよい生を生きていたに違いないと私は信じる。そしてこの非業の天才に、かのアルチュール・ランボーの詩句を捧げたいと思うのだ。「とうとう見つかったよ。なにがさ? 永遠というもの。没陽といっしょに、去ってしまった海のことだ(金子光晴訳)」
 

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