「父親」はなぜ頑固で他人を許容できないのか。
この動画と、動画に出てきた父親に対するコメント欄を見て思ったことを書きます。
念のため
この記事は、決して特定の誰かを攻撃する目的で書いているものではないです。あくまで、何のデータもない私個人の妄想であり、偏見を書き連ねているだけ。読みにくいと思いますが、でっかい独り言なので許してください。
本題
一番最初に言いたいことを箇条書きで挙げます。
・自分以外の思想があることを理解し、許容するという行為は、実は新しい考え方。
・昭和の時代では、社会から提示された「人生の正解」に疑問を持った人間が、社会からふるい落とされていった。
・自分が信じた「人生の正解」を50年以上辿ってきた人間の脳に、新たな思想を植え付けることは困難。
・若年層も「他人の思想を許容する」ことが正解であると信じている点で頑固なのかも。
私のここでいう父親とは、主に40代から50代の男性を指しているものである。身の回りの人間や、メディアの情報を見ていると思うのは、この層の人たちは、正社員として同じ会社に勤め続け、結婚して子供をつくるといった、ステレオタイプのライフスタイルこそが幸せになる唯一の手段であると本気で信じているように見える。
そのような考えが存在するのは分かるし、これに当てはまらない人が数多く存在するのは理解できるが、このようなステレオタイプな考え方を持った人間は、大抵40~50代の男性である。
「別にこのような考え方自体は問題ではない。むしろ問題に思えるのは、私たちを取り巻く経済状況が目まぐるしく変化し続け、そして、それによって若年層の思想や感じ方、考え方が自分たちとは大きく変わってしまったことを考慮できていない点である。あるいは、仮に言葉で理解したとしても、自分の信じてきた考え方以外を許容することができない点である。」
と若年層の人々は考えてしまうのかもしれないが、事はそう簡単でもないのではないかと思う。
それは、「自分とは違う考え方を理解して、許容する」ことが是とされる思想自体が、近年生まれて広がったものなのではないかという点である。
若年層の人々は、自分の思想や考え方を、社会の中のどのあたりに位置付けられているのか、といった観点で捉えているように思える。そして、自分が求める幸福と、他人が求める幸福が、かなり違う形をしているのだと理解している。
意図してそのように考えているのではなく、そのように考えることが当たり前であり、むしろ自分の信じる幸福こそが正しいと考えるステレオタイプの考え方の存在を、理解することができない。
勘違いしてほしくないのは、ステレオタイプな考え方が間違っているわけでも、近年の考え方が正しいわけでもないという点である。
ステレオタイプの考え方は、日本が爆発的な経済成長を遂げる上で必要な考え方であった。社会が求める人間になることこそが唯一の正解であり、それに疑問を持ち、別の生き方を模索する人間は社会から後ろ指をさされることが当たり前だった。
前向け前で、皆が同じ方向を向くことが、当時の日本が経済成長する上で必要だったのだ。
そのような時代に、その正解から外れないようになんとか生きてきて、社会に適合できた「父親」たちは、それ以外の考えの存在を認識することはできても、根本の部分から理解することはできない。
そして同時に、若年層も、一つの正解を信じて、そこから外れないようにすることこそが正解だった世代の思想を、理解して、許容することができない。なぜなら、他人の思想・考え方を許容することこそが、彼らの思想だからだ。
理解しあえない人間同士は、どこまで行っても並行線だ。けれど、理解しあえないという事実を認めたときに初めて見える視点もあると思う。そんな感じです。