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親友をうしなうということ

 もう20年前くらいになるが、私の親友であった彼が亡くなった…

 彼とは、小学校と中学校時代の同級生であり、もちろん家は近所であった。
ただ、彼は私と違って勤勉で優秀であった。そのような理由ではないが、小中学校時代はそれ程仲が良いと言う訳ではなかった。
私は、大学時代はまともに勉強しておらずフラフラしていたが、最終的に家業を継ぐことにした。
彼は、もちろんエリートコースを歩み大企業に就職していたが、無理やり家業を継ぐように仕向けられ、仕方なく大企業を退職し、家業を継ぐこと事になった。

 そんなある時、道端で彼と再会し同じ家業三代目として意気投合した。
その再会後数年で、
阪神・淡路大震災にあい、お互い奔走することになった。
以降、もっと親密度が増した。
2人とも子宝に恵まれて、子供に対しての愛情深さも共有でき、また、三代目という境遇等で、お互い、二代目の不満をいうことができる唯一無二の存在になっていった。
将来の世界経済はどうなっていくのか?日本はどうなっていくのか?など、色んな事を話した記憶が残っている。

※以降、あまりにも複雑で、プライベートな事が有り過ぎて、詳細はお伝えできませんので、はしょりますが、彼の家業は倒産して、彼個人で会社を立ち上げております。

 あるクリスマスイブの日の早朝、彼に紹介した人物から突然電話が入った。
彼が事務所で倒れている!と。
直ぐに彼の事務所に駆け付けましたが、未だ救急車は来ておらず、失禁し、ズボンも上げきれていない状態で倒れたままでした。
もちろん、発見した人物も、私も、彼に声掛けをおこないましたが、何の返答もなく、呼吸はできているようなので、脳梗塞か何かの梗塞の可能性が高いため、動かさずそのままにして、救急車を待ちました。

私は、救急車に同乗して病院まで行き、集中治療室で処置してもらってる間も、家族が到着するまで病院で待ちました。
家族が到着してから、何時間か全く覚えていませんが手術は終わりました。
ただ、家族親族でないと面会できないため、その日は仕方なく帰宅しました。
くも膜下出血でした。
以降、毎日病院に行き、様子を伺い、これも覚えていないのですが、数日後にようやく面会できました。
 頭蓋骨は一部切り取られており、柔らかい脳が少し出ている状態で、もちろん会話出来ず、意識が戻っていませんでした。
脳の炎症がおさまるまで、頭蓋骨を修復できないとのことでした。

 私はそれからも「もしかしたら、意識が戻るかも!」と期待を込めて、毎日見舞いに行きましたが、その予兆さえみれませんでした。

 それから1週間から10日くらいの時に、彼の両親から驚く内容の電話が入りました。
彼の両親にも知らせずに、
彼の妻により、
彼は転院させられていました。
転院先は、彼の両親にも知らせられておらず、もちろん私もわかりません。
どうすることも出来ず、
ただ、知らせを待つしかありません。

 約1年後、彼の両親から電話が入りました。
彼は、意識が戻らずに亡くなってた!と。
私はもちろん、彼の両親でさえ、彼の死に目に会えず、また、彼の遺体にも会えず、お墓もわからず…
風の便りで、彼の両親は息子の死を知った…とのことでした。
彼の両親は、もちろんのこと、私にとっても言いようのない、虚しさや怒りが襲ってきましたが、どうすることもできませんでした。
彼の両親は、遺骨は無いものの、精神的なもので供養するために、彼の両親の故郷に彼のお墓を作ったと聞いています。

 私の投稿している別のSNSでのメッセージのやりとりで、彼の事を強烈に思い出し、このnoteに書き留めて置こうと思いました。
彼の両親宅にある仏壇には、何度かお線香をあげさせていただきましたが、彼の両親の故郷にあるお墓には行っていません。
以前は、遺骨が無いお墓にお参りに行こうとは考えもしませんでしたが、遺骨という物的な事をこだわるより、精神的な事の方が重要ではないか、と思い、近いうちに彼のお墓参りをしたいと思っています。

 彼のお墓参りができれば、私の何とも言えない空虚感も、少しはマシになるかもしれません。
今よりも、もっと前を向いて歩けるような気もします。

 大変長文になりましたが、最後まで読んでいただき感謝致します。

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