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証拠方法・証拠資料・証拠原因
証拠方法・証拠資料
(参考)リークエ3版251-252頁 重点下2版28-29頁 瀬木民訴法2版332頁 条解2版1379頁(247条)〔竹下守夫〕 刑訴法リークエ2版347頁
意義
証拠方法・証拠資料の意義については、本メモでは、以下のように考えておきたいと思います。よりきちんとした定義もあると思いますが、実際上の理解としては、以下の程度の簡略なもので足りると思います。
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「(情報の)媒体 ←→ 情報それ自体」という対比は、刑訴法リークエ2版347頁による説明ですが、この対比で理解するのが最も分かりやすいと思います(重点下2版29頁注4も参照)。
証拠方法については、有形物(に限る)とするのが伝統的通説であり、現在の通説・実務でもあるとされていますが、有形物であると無形物であるとを問わないとする見解もあり(リークエ3版251頁)、聴覚や嗅覚による検証(e.g.騒音・悪臭)などを想起すると、後者の見解の方が妥当なようにも思われます(私見)。
証拠資料とは、要するに「証拠調べの結果」(証拠調べの結果として得られた内容・情報)のことと考えることができ、本メモでは「証拠調べの結果」を証拠資料と同義の語として捉えておきたいと思います(条解2版1379頁(247条)〔竹下守夫〕参照)。これに対し、「証拠資料」と「証拠調べの結果」は厳密には同義ではなく、両者の範囲には微妙なズレがあるという形で概念整理をすることもできなくはないと思います。しかし、「証拠調べの結果」を「証拠資料」とは微妙に意味が異なる語として用いるのは、かえって混乱を招くおそれが大きいように思いますので、本メモでは両者は同義の語として考えておきたいと思います。
弁論の全趣旨(口頭弁論の全趣旨)については、本メモでは「口頭弁論に現れた一切の資料から証拠調べの結果を除いたもの」とする定義に従いますので、定義上、証拠資料には含まれ得ないことになります。
なお、弁論主義に関して「訴訟資料と証拠資料の峻別」といわれるときの証拠資料(訴訟資料と対比される概念としての証拠資料)の概念が、上記の証拠資料(証拠方法や証拠原因とセットで論じられる証拠資料)の概念と同一と考えてよいのかは少し気になるところです。同義と捉える文献が多いように思われますが(重点下2版28頁・重点上2版399頁、リークエ3版203頁)、訴訟資料と対比される概念としての証拠資料は、「当事者が提出する証拠」という程度の一般的な意味であり、上記の「証拠資料」とは若干意味がズレるのではないかとする文献もあります(瀬木民訴法2版332頁注2)。本メモでは(一応)前者の見解に従っておきたいと思います。
証拠調べの方式に対応した証拠方法・証拠資料の分類は、以下のとおりです(なお、民事訴訟法では、「証拠調べの方式」という語は、「証人尋問」「当事者尋問」「鑑定」「書証」「検証」(および「鑑定嘱託」「調査嘱託」)の総称であり、いわば証拠調べに関する手続類型を指す語になっているようです(刑事訴訟法とは用語法が異なるようです)。「証拠調べの方法」という語が用いられることもありますが、本メモでは「証拠調べの方式」という語を用いることにしたいと思います。)。
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証人尋問・当事者尋問・鑑定における証拠方法は総称して人証(じんしょう)と呼ばれ、書証および検証における証拠方法は物証と呼ばれます(鑑定嘱託および調査嘱託の証拠方法も、おそらくは人証の方に分類されるものと思われます(要確認))。鑑定意見は書面(鑑定書)の形にされることがほとんどですが、証拠方法はあくまでも鑑定人であり、人証に分類されます。なお、「人証」の読みについては、「にんしょう」という読み方もあるようですが、民訴法の教科書の索引などではさ行にあることが多いようですので「人的証拠」の略で「じんしょう」と読むのが正しいようです。もっとも、人証と物証の概念的区別はそれほど重要なわけではなく、用語として使われるのも「人証調べ」という語が用いられる場面くらいのようです。
上表では、当事者尋問の証拠方法を当事者本人としていますが、当事者本人に準じる者としての法定代理人もそこに含まれる点にご注意ください。また、上表では、①証人尋問における証拠資料を「証言」としていますが、②証人尋問の結果については、信用されて証拠として採用された内容のみが「証言」になるというべきであり、信用されず排斥された内容は「供述」というように書き分けるべきであるという見解もあるようです(岡口基一『裁判官は劣化しているのか』(羽鳥書店, 2019)12-13頁で紹介されている滝澤孝臣元判事のコラム)。①②の違いは、証拠調べの結果として得られた内容・情報であれば(信用できるか否かを問わず)ひとまずすべて「証拠資料」として観念するか(①説)、その中で信用ができ、証拠として採用するもののみを「証拠資料」として観念するか(②説)という点にあるのではないかとも思われますが、そうだとすると「証拠資料」の概念規定にも関わってくる問題のようにも思います。実際に裁判官の方々の中で、どちらの用語法が多数派なのかはよく分かりませんが、②説だと「証拠資料」と「証拠原因」の概念的区別が曖昧になりそうな気もしますので、本メモでは、さしあたり①の考え方の方に従っておきたいと思います(なお、司研『10訂民事判決起案の手引(補訂版)』80頁には「上記認定に反する証人Aの証言は信用することができない」という記載の仕方が紹介されており、①説の立場から理解しやすいように思います)。
補助証拠的な証拠資料?
(参考)重点下2版131頁注133 秋山ほかコンメ5(初版)105頁(247条) 条解2版1380頁(247条)〔竹下守夫〕
重点下2版131頁注133では、書証の手続では文書の意味内容が調べられるが、同時に文書の紙質・筆跡等も調べられており、(後者の点で)書証は本来的に検証の要素をも含んでいるという指摘がされています(仮に重要な事項の契約書が新聞に挟まれた広告の裏側に書いてあったということであれば、正式の契約があったか疑われて当然であろうという例が挙げられています)。ここでいう文書の紙質・筆跡等の調査は、性質としては検証(裁判官がその五感の作用によって直接に事物の性質・形状・状況等を感得し、その得た認識を証拠資料とする証拠調べ)にほかなりませんが、証拠調べの手続として行われているのはあくまでも書証の手続であり、検証手続が行われているわけではありません(検証調書も作成されません)。
裁判官が証拠調べを行うに際して、その証拠調べの方式における本来的な証拠資料とは異なる情報・内容を五感によって感得し(性質としては検証)、その得た情報・内容が心証形成に役立つということは、書証以外の証拠調べの方式についてもあり得ると思われます。たとえば、人証調べにおける証人・当事者・鑑定人の宣誓・供述の態度(e.g. 絶句した、過剰に躊躇した、赤面した等)などは、証言/供述(陳述)/鑑定意見の概念それ自体には含まれないと考えるのが自然なように思いますが、心証形成に影響を与えうることは否定できないと思われます。
このような、各証拠調べの方式に本来的に含まれる検証的要素によって得られる情報・内容については、①それぞれの証拠調べの方式における証拠資料として位置付けるか、②弁論の全趣旨(口頭弁論の全趣旨)として位置付けるかという2つの可能性が考えられます。見解は分かれるようですが、(a)当該証拠調べの方式における本来的な証拠資料と関連して、その証明力の評価に用いられる場合には、補助事実としてそれもまた証拠資料(証拠調べの結果)の概念に含まれるが、(b)それ以外の場合(他の証明主題との関係で用いられる場合)には弁論の全趣旨になる──という見解に従っておきたいと思います(人証調べにおける証人等の宣誓・供述の態度について、秋山ほかコンメ5(初版)105頁(247条)、条解2版1380頁(247条)〔竹下守夫〕。重点下2版131頁注133が上記の書証の例に関して、意味内容を全く問題とせず純粋に紙質、筆跡等のみを調べるときは、もはや書証と呼ぶことはできず検証となるとされるのも同様の趣旨ではないかと思われます)。
このように考えると、上表に証拠資料として挙げたものを主たる証拠資料(いわば本来的な証拠資料)と呼ぶことができるのに対して、各証拠調べの方式に本来的に含まれる検証的要素によって感得され、主たる証拠資料の証明力の評価に用いられる内容・情報は従たる証拠資料(いわば補助証拠的な証拠資料)と呼ぶという形で整理できるのではないかと思われます(「主たる証拠資料」「従たる証拠資料」という用語法は、重点下2版131頁注133によります)。もっとも、証拠調べの結果=証拠資料(従たる証拠資料)と位置付けるか、弁論の全趣旨と位置付けるかというのは、いずれと解しても証拠原因となりうる点に変わりはないのだから、さほど実益のある議論ではないという指摘もされており(秋山ほかコンメ5(初版)105頁(247条))、これはおそらくその通りだと思われます(なお上記では、証人等の宣誓・供述の態度を裁判所が観察することも検証の性質を持つものとして考えましたが、そこは異論がありうるところかもしれません。しかし、仮に検証とは別の性質のものとして整理するとしても、主たる証拠資料(本来的な証拠資料)の証明力の評価に用いられる限りは証拠資料(従たる証拠資料(補助証拠的な証拠資料))の概念に含めて良いという点は、同様に考えて良いと思われます)。
証拠原因
(参考)リークエ3版251-252頁
証拠原因とは、
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──のことです。民事訴訟では(刑事訴訟と異なり)弁論の全趣旨も証拠原因となりますので(民訴247条)、「証拠原因は証拠資料の部分集合」という関係には必ずしもなりません。
(本記事は一応、有料設定にしていますが、以下に特に追加内容はありません。ここまでのメモ内容で投げ銭しても良いよという方がもしいらっしゃいましたら、大変助かります。)
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