野遊びという名のウォーキング?
以前の記事で毎日30分ほど歩くことを習慣にしていると書いた。歩くといっても真面目にウォーキングってほどじゃない。本当は真剣にやればもっと
効果がでるのだろうけど。
私の歩くコースは大体決まっている。田植えの終わった水田の周りにできた水の流れがない場所にできた水たまりに足を止める。そして水の中を観察する。たくさんのオタマジャクシが泳いでいた。オタマジャクシをじっくりと観察するなんて子供の時以来だろうか。
そういえば、私が4,5才の頃だっただろうか。確か小さいバケツにたくさんのオタマジャクシをもらったことがあった。まだ子供だったし、その頃の私はまだ、オタマジャクシがカエルの子だと知らなかった。ただ、丸くて黒い胴体と尻尾で、泳ぐ姿がとてもかわいくて見ているだけで楽しかった。日がたつにつれて丸い胴体と、尻尾に今度は足が生えてきた。だんだんそれと同じ姿のものが増えていく。何も知らない私は、母親に「お母さん、足が生えてきたよ。」と無邪気に教えていたっけ。それを聞いた母が、血相を変えて飛んできた。そして私に言った。
「それ、今度近くの川に放してあげよう。全部カエルになるの。」と。
その時、オタマジャクシがカエルの子だと初めて知ったのだった。
後日、足が生えたオタマジャクシが入ったバケツを持って、父、兄、私で
近くの川にオタマジャクシを放しに行った。
田んぼの水たまりにいる元気に泳ぐオタマジャクシ達を見るたびに、私は幼い頃のことを思い出さずにはいられないのだった。
更に、水たまりの底にじっと目を凝らしていると、水底の泥の中から、長いひょろっとした生き物が出てきて、しばらく泳いでからまた泥の中に隠れた。それはドジョウだ。ドジョウが泥に隠れる姿なんて、初めて見た。またまた子供の頃、何かのイベントで金魚などの生き物が入れられたプールに足をつけ、その生き物を手づかみで捕まえる企画があった。私はそこでドジョウを捕まえ、家に連れて帰り、飼っていた金魚の水槽にいれて一緒に飼うことにした。だが、ドジョウは金魚と違い、水中の底の方を泳ぎ、敷き詰めた砂利に潜ろうとしていたが、エアレーションの水圧に叶わず、息絶えてしまった。今から思えば本当に可哀想なことをしてしまったと思う。もし、ドジョウの習性を理解していたなら、きっと金魚と一緒の水槽で飼わずに、分けて飼うこともできただろう。また、子供の頃のことを思い出してしまった。
この水たまりを離れ、また田んぼまわりの流れの緩やかな水路を見に行く。今度はメダカのような小さな魚が群れをなして泳いでいる。大きさからしてメダカだと思うのだが、動きが俊敏でまだ魚の種類は特定できない。
ずっと実家と今の住まいで、メダカを飼い続けているので、自然と田んぼの
周囲に泳いでいるような小さい魚が好きになり、興味が湧く。この小魚たちがクロメダカならとても嬉しいのだが。この同じ風景を散歩コースで毎日のように見ているものの、けして飽きることはない。毎回、違う発見があり、面白いからだ。
次は河川敷に足を向ける。以前の記事にも書いたが、その時に比べて今の時期、ノイバラが満開である。桜くらいの真っ白い小さい花が可憐である。
少数しか咲いていない時は、バラ特有の芳香は確認できなかったのだが、満開となるとノイバラからもよい香りがする。園芸種に劣らないく涼やか涼やかな香りだ。真っ白でたくさん咲くノイバラが、すっかり気に入り、毎日のように見に行っている。あまりにもきれいなので、少しだけ摘ませてもらい、自室にも飾って楽しんでる。密かに自分でも増やしてみたいと思い、枝をもらってきて、水に生けて様子を見ているところである。以前、園芸種を増やしてみたいと思い、切り花のバラを買ってきて同じように水につけて、試みたことがある。根が出てこないものもあったものの、根がでた切り花を見つけて今度は植木鉢に移して育てた.。根付くかどうか心配になったものの、ちゃんと根が張り、育ち始めた。そんな経験から試してみようと思った。もし、成功して根付いたとしても、結構株が増えてしまうので、剪定はかかせないだろう。増やすのはナンセンスだっただろうか。野生は野生の中で咲いているからこそ美しいのかもしれない。
河川敷でバラ科と思われる別の花も見つけた。ピンク色のかわいらしい花が咲くようである。ノイバラのような鋭いトゲはないものの、茎に柔らかいトゲのようなものが生えている。これはなんという野草なのだろうか。初めて見る。こちらもすこしだけ摘ませてもらい、自室に飾っている。名前が分かったらまた後日投稿してみたい。
美しい花はまだある。アカツメクサだ。アカツメクサのスケッチは断念したと先日の記事にも記した通りである。シロツメクサに比べて、めっきり見ることが少なくなった気がした。私が子供の頃には結構どこにでも生えていたのに。アカツメクサを見たとき、久しぶりに幼いときの友達に再会したようなうれしさと懐かしさを感じた。白くて純朴なシロツメクサも好きだが、それよりも一回り大きく、かわいらしいピンク色の花を持つアカツメクサは
華やかで好きである。こちらも少しだけ摘ませてもらい、自室に飾っている。
私のウォーキングはウォーキングという名の野遊びだ。自分でもやっていることがまるで子供のようでつい笑ってしまう。でも今はこれがとても楽しいし、一番心が和む。
これまでの自分自身を振り返ると、毎日が慌ただしく、不規則な仕事と家族のことでいっぱいいっぱいで、いかに心をすり減らしてきたことかと思わずにはいられない。休みの日はあるけど、心身ともに疲れ切っていて、とてもウォーキングをしたり、野遊びをしたりする気持ちの余裕はなく、毎日、毎日何かに追い詰められているような日々を過ごしてきた。後にそんな自分自身がとうとうパンクしてSOSを発するのだが。このことはまた後日、記すことにしたい。
心に余裕を持って生きることはとても大切だと、私は自分を取り囲んでいる自然から毎日教えてもらっているのである。
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