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なぜ隈研吾設計の公共施設はここまで多いのか?


 隈研吾さんというと、世界的建築家という評価がある一方、設計した建築物に数年でカビが生える問題がニュースになるなど、問題のある建築家という評価もされています。

 特に公共施設の場合、税金による修繕費用が発生するため「税金の無駄遣いではないか?」という批判の声も少なくありません。

 では何故、カビなどによる老朽化という問題があるにも関わらず、隈研吾さんの設計はここまで人気なのでしょうか? 

 これに関して、建築エコノミストの森山高至さん※が解説してくれています。
※( https://x.com/mori_arch_econo?s=09 )

 ちょっと長いので、引用、要約しながらまとめていきます。
 これ以降の『 』の中は、上のリンクからの引用になります。

『事は10年前※の姉歯建築士による建築構造の耐震偽装問題事件にまでさかのぼることになる。』
※記事の大元となるツイートは2016年8/9に投稿された。

 ここでいう耐震偽装問題事件とは、2005年11月に報道されて明るみになった構造計算書の偽装問題のことです。 計画書の偽装が原因による建築基準法で定める耐震強度に満たない物件が、分譲マンションやホテルなどで見つかり、社会的に大問題となりました。
 当時はニュースで大々的に扱われていたため、自分もとても印象に残っています。

 隈研吾さんのブレイクの背景には、この耐震強度偽装事件による影響が関係しているというのです。

 それは、この耐震偽装事件の後に行われた建築基準法改正によって、建築業界の性善説が性悪説に切り替わり、建築における業務の進め方が大きく変わってしまったことによります。

『建築確認申請設計図書は建築行為以前に徹底的に精査され、それまでの「いったん許可を取るだけのもの」後により具体化し、工事進行に合わせ自在に変更し詳細に詰めていく、構想→基本計画→実施設計→工事検討しながら実現、という業務の仕組みが壊れた。』

 つまり事件より以前では、申請された設計書は叩き台的な面があって、必ずしも設計書通りに工事をしていたわけではなく、デザインといった細部に関しては、作る過程で再検討、修正をしながら作業をすることができていたのです。
 ただ、これは耐震強度などの「建物における重要な機能」には変更を加えない、偽装しないという、性善説が前提で成り立っていました。
 それが、姉歯事件によって偽装があきらかになると、規制がきびしくならざるを得なくなり、設計図通りに建築しなくてはならないと制度が変わってしまいました。

『特に、建築の耐震構造部位、床、柱、梁、屋根といった主要構造部に関して、施主の希望はじめデザイン考慮によるほんの少し、数センチの天井上げや間取り壁の移動も、かつては事後報告で済んだものが、工事中に行なうと変更許可を受ける必要があり、その間工事が止まる。』

 そのため、デザインにこだわった建物を建設しようとしたときに、最初の設計図作成以降に修正をしてしまうと、確認の手間がかかったり、工事の遅れなどのリスクが生じることになります。

 そのため『変更すると工事が止まってしまう可能性の高い建築構造部に、抵触しない建築デザインの手法の必要性が高まった。』

その結果として、
『建築の構造部とデザイン表現の視角的形態を分離し、本質的な空間の骨組みに抵触することなく、皮膜的、書き割り的、ハリボテ的デザインをむしろ積極的に推し進めていくことを是とする隈研吾的手法は時代の要請に適合したのである』

 つまり、隈研吾設計の特徴である、建物の外面に木材を配置していく、建物に装飾を加えることでデザイン性を演出する手法では、デザイン性を担う部分は建物の一部ではないため、建物とデザインが一体になっている建築に比べて、はるかに修正作業の手間を減らすことができるのです。
 そのため、「建築のデザイン性にこだわりたい! でも、手間はかけたくない」というニーズを、隈研吾さんの設計は偶然にも満たす手法だったのです。

 そして、その結果として隈研吾さんに発注が集まるようになったのです。

 建設エコノミストの森山さんは最近のポストでこうまとめています↓

 この④は、耐震偽装問題によって生じたアドバンテージを、隈研吾さんは最大限いかしているということですね。
 ①と②と③も、もしかしたら自治体からうまく発注をもらうためには必要なスキルなのかもしれません(笑)



 個人的に、隈研吾さんが設計した公共施設の老朽化の問題のニュースを目にするたび、悪徳な建築家である隈研吾が、カビが生える等の問題を知らせないまま、建築に疎い自治体の人間をだまして受注を取っている、というストーリーを思い浮かべていました。
 ただ、隈研吾さんがブレイクした背景をしると、隈研吾さん側が一方的に悪いわけではなく、自治体側の手間をかけず豪華な公共施設を建設したいというニーズが、隈研吾設計の公共施設の建設を増やした要因であり、むしろ自治体側こそが問題の主犯であるといえます。
(もちろん隈研吾さん側にも問題はありますし、立派な共犯者だと思います)

 隈研吾設計のような問題を指摘されている公共施設が増えてしまうのは、行政の税収があればあるだけ使いたがる浪費体質と、自分の自治体に豪華な公共施設を作りたいというスケベ心が根本的な問題といえます。
 それを改めさせるには、やはり減税によって自治体の税収を絞り、浪費ができないようにすることが必要だといえるでしょう。


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