引き算の勉強してますか?
アジカンを聴くと、色々なことを思い出す。
模試終わりに夕日をみながらアフターダークを聴いたこと。
箱根に旅行したとき、何故か江ノ島エスカーを聴いたこと。
学祭が終わったあと、大学の最寄り駅でホームでブルートレインを聴いて泣いたこと。
楽しかったことも、今思い出すと辛いことも多かったな。そんな今日はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを聴く。
自分語りならぬ音楽イキリが出しゃばりやがって。さて、本題に入ろう。
突然だが、あなたは、誰かに詰問されたことはあるだろうか。これは結構怖いことなのだ。
大学受験で考えてみよう。
先生から「あなたの状態って今の勉強ペース的にどこなの?いつこのレベルのテストするの?」という質問をされた。
「このくらいの時期かな〜とは思っています」と話すと
「具体的には?いつなの?」と言われる。
ちょっと怖い。
「〇〇月の中旬です!」と言う。
「そうですか。分かりました。」
怖い。
怖いのはさておき、
受験勉強における「本質」とは何か。
話の冒頭で謎の会話があったと思うが、
結論から話すと
受験勉強は「勉強の進捗・ペース」ではなく「勉強で知識を身につけた量」で合否が変わるというものであり、この「量」は「できた量」である。
ここに尽きるかなと私は思う。
受験勉強とは「勉強量」といったものではなく、
身についた「知識量」がものを言う。
この「知識量」が使える基準の「知識量」になった状態を目指すものかなと。
これは受験で出た問題が参考書に載っていた場合、どのレベルでも点数が取れることを指す。
また、この考えで言えば受験における問題に多少の難易度があろうとも、出題された問題が参考書に掲載されていれば全て基礎問題同様とみなすこともできる。
(逆にそれ以外は捨て問と捉えられるだろう。)
要はインプットした量をどこまでアウトプットまで行くかという問題でもある。
この定義に即せば、
「カリキュラム的にどの位置にいるか」
といった全体的立ち位置よりも
「自分の知識でどのレベルの志望校の問題が解けるのか」
といった個別的立場を考えるべきであることが分かる。
そう考えてみると、受験は意外と引き算の勉強なのだ。ここで言う引き算とは、どこまで自分の無駄な勉強を消すかが大切であって、どこに時間比率を考えるか、それを踏まえて優先度と演習するものを減らしたりすることである。
そして、この引き算の勉強こそが秋学期から始まる新たな受験の「天王山」に勝つ方法である。
夏が受験の天王山と言われているが、私はそんなものはきょこうにすぎない
これが分からないと正直、生徒が量だけこなすマシーンと化ける。
勝ちたければ、この天王山を乗り越えよ。
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