「厳しいやつ」を演じる必要がなくなりつつある
あれ、やさしくなった?
私が夫に感じたことだ。
いや、もともと夫はやさしい。
どちらかというと、厳しさより、やさしいの割合のほうが高めだ。
でもイラッとすることも、厳しいやつめと感じることもある。
昨日も書いたが、
わたしの周りにいる人たちは、わたしの鏡であり投影だ。
とくにいつも一緒にいる家族なら、なおさら。
感情が大きく揺さぶられることが多い。
わたしが夫に「厳しいやつめ」と感じたのであれば、わたしが誰かに「厳しい人だ」と思われたことがあるはずなのだ。
そして思考のしくみからすると、元をたどればわたしが " 母に対して " 思ってたこと、ということになる。
たしかに子どものころ、母はとても厳しい人だった。でもそれは、子どものわたしたちがした「いけないこと」を正そうとしていただけのこと。
だって、四六時中厳しかったわけではないのだから。
でもまだ子どもだったわたしには、それは理解できなかった。
そりゃそうだよね。だって子どもだったんだもの。
母の愛をただただ勘違いしていただけ。
その勘違いに何度も気づいては、思考を修正していく。その繰り返し。
だからわたしの中で、厳しさがだんだん愛に変わっていった結果、夫が「厳しいやつ」を演じる必要がなくなりつつあるのだと気づく。
それは、わたしの中にあった厳しさをも許して受け入れているってことにもつながっているのだ。
書きながら、 '' ほうほうほう " と腑に落ちている。実におもしろい。
夫に対して
「やさしくなった?」と思ったということは、わたしが自分に対しても「やさしくなってきている」ということなのだろう。