「どうでもいい話」が世界を救う
noteには「どうでもいい話」というカテゴリーがあって、人それぞれ「どうでもいい」の分類が違うんだなと思った。
よし、今日はどうでもいい話をテーマにしよう。
と決めたはいいが、はて、私にとってのどうでもいい話とはなんぞや?というところで考え込む。この経緯こそがどうでもいい話っちゃ〜そうなんだけど。
それだとここで話が終了してしまうので、私の中でのどうでもいい話をしようと思う。
私の小さな脳みそをフル回転させて考えた結果、
「どうでもいい話って世界を救うんじゃね?」
と思い至るほど、壮大な妄想をふくらませた。
私の中でどうでもいいと感じることは、たとえば子どもが、アリをつぶしたんだ〜、ぐらいのもの。
で?って思うのがどうでもいい分類なのかなと。
私の中では子どもがアリをつぶした話はどうでもいい分類に属するが、もしかすると子どもにとってはどうでもいい話し以上の"何か"があるのかもしれない。
人それぞれ感じ方や価値観が違うのだから、最後まで聞かないで分類してしまうのは危険とも思える。
もしかすると子どもがアリをつぶしたんだ〜の話に実はつづきがあって、つぶつしてしまったことへの罪悪感を伝えたいのかもしれない、とか、
アリをつぶしたらいい匂いがしたという狂気の沙汰話とか、群れていたアリの仕事っぷりについて語ろうとか、実験的な要素を含んでるのかもしれない。
どうでもいい話って思っているよりもそこら中にあって、家庭にいても友人といても会社でも必ずといっていいほど、
「どうでもいい話なんだけどさ」で話はじめたり、話終わったりする。
中には「どうでもいい話してごめんね」と謝るパターンまである。
謝るということは、その人にとってはどうでもいい話をしているわけじゃないんだけど、聞き手の反応によってどうでもいい話として着地させ、先に謝るという行為で、自分の心を守るための防御反応かもしれないとも思える。
ただ、謝られるとどう反応していいのか迷ってしまう。
そこで試したいのは、
「どうでもいい話してごめんね」と謝られたら、
どうでもいい話だったんかーい(ペシ)
と、昭和のお笑い芸人ばりに突っ込んでみてはどうだろうか。きっと爆笑のうずが巻き起こり、どうでもいい話なんかどうでもよくなること間違いない。
そんなどうでもいい話はさておいて、
自分にとってのどうでもいい話は、誰かにとっては面白い話であったり、ためになる話かもしれない。
その逆パターンもある。
ただ思うのは、どうでもいい話っていうのは、コミュニケーションの潤滑油かもしれないと。
実際、夫や子どもとの会話や、友人、職場でのコミュニケーションの大半は、誰かのどうでもいい話から展開することが多いような気がする。
そう考えると、どうでもいい話が世界を救うじゃないかという考えに至ったのである。
ここまで書いてみてやっと、興味があるかないかで分類されるのではないかと気づく。
『どうでもいい話が世界を救う』
というタイトルで初書籍を出版し、重版に重版を重ね、世界各国で大人気ベストセラー作家として紹介されるという壮大な妄想をふくらませたというのは、どうでもいい話だけどね笑
100日チャレンジDay6クリア
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