地味に悶絶して笑って終わることかも
いたっ!
痛みの走った足首の内側を見る。
みるみる内出血が広がる。
いったーーーい!!!
なに!?
足にぶつかったヤツの正体。
それは、子どもが置きっぱなしにしている水筒。
地味に痛くて悶絶。笑
誰よ〜、こんなところに水筒を置きっぱなしにしてるヤツは!!
なぜこんなことが起きたのかというと、
仕事から帰ってきたらすぐ着替えて、ウォーキングに出る。
どうやらこれも習慣化できてきてるということだ。
はじめたばかりのころは、トレーニングウェアに着替えるまでも時間がかかった。
それは思考がうるさく騒ぐから。
え〜、歩くの〜?
疲れたよ〜。
ゆっくり休もうよ〜。
だって家事もしなきゃなんないんだよ?
ってな具合で。
でもいまでは仕事終わりのルーティンかのように、帰ったらすぐ着替えて出られるようになった。
あんなにうるさく騒いでいた思考も、いまは何もいわない。
というか、うるさくいう間も与えずとっとと着替えて出る!!
歩きはじめのころは、音楽を聴きながら歩いていた。少しでも長くつづけられるように楽しい時間にし、テンションをあげるため。
でも最近は音楽を聴くことをやめた。
その時間は唯一ひとりの時間。だからこそ、自分と向き合う時間にしようと。
感じるまま感じ、思いたいまま思う。そこから自分を知り、自分と会話をする。
突然古い記憶がよみがえることもある。そのたび、いい気分になる思い出やそうでない思い出もある。
今日はわたしが中学生で、すぐ下の妹が小学生だったころの記憶。
詳しい内容を話すことはできないが、ずいぶんあとに母から、このころ、とんでもないできごとがあったという話しを聞いたことも思い出す。
なぜわたしはあのころ、もっと妹のことを見てやれなかったのだろう?
なぜわたしはあのころ、わたしにも起きたできごとで妹が悩み苦しんでいると想像してやれなかったのだろう?
なぜわたしはあのころ、妹の話をちゃんと聞いてあげられなかったのだろう?
そんな悔しくて悲しい思い出。
あのころのわたしはまだ幼くて、妹にまで気を回すことができなかった。
あのころできなかったことを後悔しても、もう取り戻すことはできない。
だけど、いまを変えることはできる。
いま妹に寄り添うことはできる。
二人の未来を変えることはできるんだ。
そう思ったが、あのころの話をして、思い出させることに意味はあるのだろうか?
癒されてきてるかもしれないことを、ほじくり返すような真似をして、また傷つけることになるのではないか?
いまわたしにできることは、そっとしておくことなのではないだろうか?
答えが見つからないまま帰ってきた矢先の、冒頭のできごとである。
冒頭のできごとはもしかすると、
いまさら何よ〜、昔のこと引っ張りだしてくるヤツは!!と妹にいわれ、地味に痛いけど悶絶して笑って終わることかもしれない。
な〜んて、安易な考えかもしれないが、わたしの想像していることが創造されるのであれば、本当にそうなるかもしれないな、と。
どんな現実を見たいか?
いまわたしの中でセットされているフィルムは、どんな現実がセットされているのだろう。
そんなことを思いつつ、過去のことを後悔するだけじゃなく、ちゃんと向き合ってみようと思えたできごとだった。
Revenge Day8クリア