思い込みの世界
自分にはどんな思い込みがあるのかって、なかなか気づかない。
でもその思い込みが邪魔をして、見えないものがたくさんあるのだと思ったできごとがある。
昨日の夜、久しぶりに晩ご飯をスシローで食べたときのこと。
スシローって、注文パネルがはめ込み式?で取れないようになっているので、パネル近くに座ってる人が注文する。
見えにくいし、注文しづらいな〜といつも思っていた。
昨日もいつも通り、壁にかかったままのパネルでメニューを見ていたら次男が、このパネル取れるんじゃない?と。
スシローのは取れないよと答えると、前と少し違って見えるから取れるかもよ?
まさか〜といいつつ、パネルを上にスライドさせてみると取れた!
でしょ?とドヤ顔の次男。
へ〜とうとうスシローも変えたんだ〜という驚きと、パネルは取れないタイプという思い込みに気づいた。
子どもはまだ思い込みってのが小さく、ホントにそうなのか?という疑いを素直に受け取れるのかもしれない。
頭がやわらかく柔軟なのだろう。
この思い込みというやつは厄介だ。繰り返し取れないパネルに触れていたがために、それを繰り返しインプットすることで、潜在意識にまですり込まれている。
だから試しに取ってみる、という行為すら生まれないわけで。
周りを見渡すと、その思い込みはわたしたちだけじゃなかったという衝撃の光景を目にする。
ほかのお客さんもみんなその思い込みから、パネルを取ることなくいままでのスタイルで壁かけのまま注文していたのだ。
スシローのパネルは壁から外れない、という思い込み。
恐るべし思い込み!
この思い込みを信じて疑わないのは、"ある"のに"ない"、という現実を創り出すことになるのではないか?
たとえば豊かさも実は目の前にあるのに、"ない"と思い込んでいるだけかもしれない。
"ない"と思い込んでいるので、見ようともしてないってことになる。だから、いつまでも"ない"まま。
まずはいま信じている自分の思い込みに気づき、それを疑うことが豊かさへの近道なのではないか?
少し話は変わるが、こないだ小学校の参観があったときのこと。
四年生の次男が入学して、学校に行くたび通る校内の遊歩道。
どんな木が植えられているのか見てきたはずなのに、今回の参観ではじめて見た木に驚いた。
ななな、なんと!柿の木があって、約3センチほどのかわいらしい実がなっていたのだ!!
桃栗三年柿八年でしょ?ってことは、8年以上も前からこの木はここにずーっとあったわけで。
学校に、柿の木なんてあるわけが"ない"っていう思い込みに気づく。なんてこった!
でもひとつずつその思い込みに気づき、そのブロックをぶっ壊して"ある"にしちゃえば、わたしの世界は豊かさに溢れていることに気づくわけで。
そうするともう、見えてなかった豊かさが見えてくる。
ないと思っていたモノたちが"ある"に変わるわけだから、いまから見る世界は180度ひっくり返った新しい世界を生きることになる。
うわ〜、これからどんな世界を体験するのだろう?楽しみすぎる!
どんどん思い込みに気づいて、自分の望む世界を創造していこう。
Revenge Day20クリア