稼げ!働け!壮大な勘違いで創られた人生
忘れられてもおかしくないぐらいの期間更新していなかったのだが、昨日の投稿にスキやコメントまでいただいて本当にうれしかった。ありがとう!
久しぶりすぎて、誰も見ないだろうと思っての内容をぶっこんだので、少々恥ずかしい気もしている。てへ。
今日は昨日の話をより深掘りした内容を書こうと思う。
わたしは夫に対して、『稼げ!』『働け!』と本音では思っていたという話を書いたのだが、夫が仕事を辞めたことすら、わたしの思考ということになる。
どういうことか考えてみた。
夫に対して『稼げ!』『働け!』といいたかったのではなく、本当はわたしの父に対していいたかった言葉なのだと気づいたのだ。それに気づく必要があったから、夫が仕事を辞めるというストーリーをわたしが作らなければならなかった。
そもそも夫が仕事を突然辞めるなんてことが現実に起きなければ、わたしは『稼げ!』『働け!』のワードが自分のブロックを外すための言葉だとは気づけなかったわけである。
まず、潜在意識の特徴を伝えさせてほしい。ポイントは二つ。
一つ目は、潜在意識は主語を認識しないということ。主語が抜け落ち、それ以外が記憶される。
そして二つ目は、感情優先であるということだ。そのポイントをふまえ、話をすすめていこうと思う。
わたしが小学校一年生まで話がさかのぼるのだが、一年生になってはじめての夏休みで引っ越すことが決まり、引っ越したのだ。
引っ越した家は今まで住んでいた家より小さくておんぼろ、店舗つきの家。それでもちがう家に住むということは、新しい冒険のはじまりのような気持ちでわくわくしたのを覚えている。
母はその小さな店舗で、クリーニング屋と写真現像とちょっとした商店をはじめた。
ところがある日、写真現像のため暗室にしていた小さな部屋を、父が占領しはじめたのである。母は、写真現像の仕事から手を引くしかなかった。
そう、父は、その小さな部屋から出てこなくなったのだ。つまり引きこもり。一切働かず、だからといって家事も育児もしない。唯一していたことといえば、まだ赤ちゃんだった末っ子長男のお世話ぐらいだ。お世話といっても、ただただ愛でるだけのもの。
だから母が働きすぎで倒れて入院したとき、思ったのだ。このままだとお母さんが死んじゃう!!と。もし母がいなくなてしまったら、家族みんな路頭に迷い、みんな死ぬしかないという恐怖を、幼心に強烈なインパクトとして残ってしまった。
母が入院しても見舞うどころか、わたしたちきょうだい4人のお世話は、父のお父さんであるおじちゃんと、母の妹であるおばがしてくれたのだ。
そんな父を軽蔑し、人間のくずだとバカにし、役立たずめと見下すようになっていった。いつも父に対して、『稼げ!』『働け!』『この役立たずの社会のゴミめ!』と大人になってもなおずーっと思いつづけていた。
大黒柱として昼も夜も寝る間もおしんで働く母と、引きこもって一切働かない父。この二人を創っていたのも結局わたしの思考だったというのだから、びっくりだけど、この話はまた別記事で解釈してみようと思う。
ずっと父のせいでうちは貧乏なんだ、母とわたしたちきょうだいは、被害者なんだと思ったまま大きくなってしまった。
でもね、全然ちがったんだよね。
母はめっちゃ稼いでいた。そしてただの節約家だったのだ。なぜなら母はキャッシュで家を建てたのだから。
しかもわたしの高校の合格祝いは、当時、どの家庭にもほとんどなかったパソコンを、ポーンと買ってくれたし、お金あったんだと驚いたものだ。笑
思い出してみると、父が働かなくても母が何度も倒れて入院しても、みんな生きてるし、なんならお金もあって豊かだったんだと今ごろになって気づく。
父に対して思っていた『稼げ!』『働け!』という言葉と、母がいなくなることで生活費がなくなるというお金=死に直結する恐怖。
潜在意識の特徴を思い出してほしい。
主語を認識できないということと、感情優先ということ。
父という主語が抜け落ち、わたしの潜在意識にすりこまれつづけていたのは、『稼げ!』『働け!』という言葉のみと、お金=死という恐怖の感情のみだ。
稼げ!働け!そうしないとお金がなくなって死んでしまうかもしれないんだぞ!と、自分を責め、死ぬかもしれないという恐怖におののくための材料にしていただけにすぎない。
そして被害者意識でいるってことは、自分の人生をコントロールできないと投げ出している無責任な生き方をしているということだ。
ネガティブって、そもそも子どものころの勘違いが原因だという。
わたしは人生の半分以上を、壮大な勘違いによって創っていたのだ。父は働くことはなかったが元気に穏やかに生きていたし(今は亡き父)、母は何度も倒れたが、今は健康で元気に暮らしている。
つまり、稼げ!働け!って責めなくても、お金がなくなる恐怖におののくことがあったとしても、生きていけるんだよ~ってこと。
夫が会社を辞めなければ気づくことができずに、何度も『稼げ!』『働け!』という現実を創り出していたにちがいないと思うとゾッとする。
わたしの中にこの思考や感情がずっと残ったままだと、誰かに対していいたくなる現実と、わたしに対しても誰かがいいたくなる現実を創ってしまうのだ。
これがわたしのお金に対するブロックになっている。これだけ強烈にすりこんできたのだから、これからも何度か手放す現実がやってくるのかもしれない。
けれど、一度気づいたのだからなんてことはない。その現実に対して、どう思ったのか?何を感じたのか?を見つけて手放せばいいのだから。