何を感じて、何を思って、何を考えたか
どう思うかは自由なのに、その自由に制限かけてるのは自分自身。
サムネにした画像だけど、雲のカタチが、コーヒーカップに見えて仕方ないのに、そう思ったんだってことを誰かに伝えることに制限をかけてるわたしに気づいた。
だから何なの?っていわれてショックを受けるかもしれないなんて。
自分の自由を制限していると、ほかの誰かの自由も制限することになる。
たとえばわたしが
「あの雲、コーヒーカップに見える!」
といったとして、ほかの人はコーヒーカップではなく、ロクロでつくってる器というかもしれない。
もしかすると、アラジンの魔法のランプに見えるという人もいるかもしれない。
もしわたしが自由に想像することを許可しているとしたら、「たしかに、それにも見える!」とか「えぇ、そうかな?」なんて自分の感じたことをいえるはずだ。
許可してないとすればきっとわたしがコーヒーカップに見えたとして、ほかの人が「えぇ、そうかな?」なんていった日にゃー、自分が否定されたような気になりショックを受けて、「なんでそんなこといわれなきゃいけないの」と怒りを感じるかもしれない。
つまりほかの人の感じることも、許可できなくなるということ。
この世界は自由だ。
なのに自由な発想を、みずから制限してしまっていないかい?
何を感じて、何を思って、何を考えたか。
制限なんて無意味なことをするな。自分の感じたこと、思ったこと、考えたこと、すべてに自信を持っていい。そして自由なんだ。
だってそれには正解なんてないのだから。
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