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ループ

仕事をする中で、わたしはよく、トラブルあっても動じないよね、と言われるのだけど、動じていないわけではない。
困難て、困難と思うから困難になるんだと思う。目の前に次々現れる出来事に対し、とりあえず行動する。
あとから振り返ってみて、大変だったなーと思うことはあるけれど、絶賛対応中のときって、出来事に色付けしてるヒマがない、てゆー意味では大いに動じているのだと自分では思う。

自分自身のことでいうと、なんでそんなにツライことを黙っていたの、と言われることがある。
それは単純な理由で。私がツライと思っていないから。つらいなーと私が感情をくっつけると、ソレはその瞬間につらい出来事になる。困難を困難と思うと困難になるのとわたしの中では同じ理屈。

つらい、と認めると耐えられないから、出来事から逃げているだけなのかと思ったこともあったけど、まあ、結果としてこれでやり過ごしてきてるのだから、処世術のひとつと思ってるし、わざわざツライコト判定してウツ要素増やさなくてもいーかなーとポジティブな私は思う。

他人に何かを相談するタイミングっていつなのかずっとわからないでいるし、このことが、私と関わる相手によっては、さみしい、自分は要らないんだ、と思うらしい。必要か必要じゃないかっていう価値観でしかみれないことこそ、さみしい気がするが。

それはそれとして。
事によっては、つらいとか困難とか私の理性やら感情やらがどうこうするのを飛び越えて、その出来事に遭遇した瞬間にダイレクトに身体に影響を及ぼすものもあって。
かんたんに言うと、胸くそ悪くなる。
コレを克服したらば、強くなる。
これがなかなかに、そう、困難だ。
困難と思うから困難。

久しぶりにそんな事例に出くわしたので、ぼちぼち自分を癒しながらゆこう。

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