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映画の半券とメダル20枚交換!

2025年1月21日。

友達の太田マンと映画を観に行った。

『大きな家』という児童養護施設に暮らす子どもたちのドキュメンタリー映画を観たのだが、とても面白かった。

笑えるところも、考えさせられるところも、印象的なショットも、孤独感も、きらめきも、素直さも、強さも、全部入っていた。

エンドロールを観ながら、
「ひたむきに、人と比べず、丁寧に毎日生きるしかない」
と個人的に考えさせられた。

感動しながらも腹の底から力が湧いてくる。

素敵な2時間だった。




上映後。
映画の余韻にやられてほとんど言葉を発しない太田マン。

僕も感想がまとまっておらず、
「面白かったな・・」
くらいしか言わなかった。

そのためほぼ黙って一緒に館内をうろうろした。

だがそこで、あるものを発見。

それは、
「映画の半券とメダル20枚交換!」
と書かれた張り紙だった。

この映画館の横にはゲームセンターがあるのだが、どうやら映画を観た人は、メダルゲームのメダルを20枚無料で貰えるらしかった。

それを見つけた太田マンは、
「メダルゲーム出来るじゃん。やってく?」
と聞いてきた。

僕はメダルゲームが好きなので、
「やりたい!」
と言いそうになった。

が、すんでのところで声が止まった。

なぜなら、ある一抹の不安に駆られたから。

その不安の正体は、
「今からメダルゲームやったら、映画の余韻ぶち壊しじゃね?」
ということだ。

『大きな家』という素晴らしい作品を観た後で、メダルゲームという、やたら音が大きく、光が強く、人を脳死にさせながらもドーパミンだけは出させるように設計された機械に取り組む行為は、余韻の破壊を意味する。

鑑賞後の「エモ」も「チル」も全部吹っ飛ぶ。
最高に楽しい脳死時間浪費。
それがメダルゲームなのだ。

しかも僕と太田マンはまだ、一切の感想を話し合っていない。

感想のアウトプットを全くしていないのだ。

人間の記憶はアウトプットによって定着する。

他者に話すことこそ逆に最大のインプット。

つまり映画との思い出を全身に染み込ませることが出来る行為、感想トークを済ませていないのだ。

にもかかわらず、感想トークなしで、というかまだ感想が脳内で整理されていないこの状態で、メダルゲームに臨むのはほぼ自殺行為。

映画の記憶と余韻を薄める危険性大なのだ。

だが、もしここでメダルゲームをやらないと言えば、
「でもせっかくメダル無料で貰えるのにもったいなくね?」
という正論が太田マンの口から飛んでくること間違いなし。

それに「もったいない」という言葉の引力ほど強いものはない。

だから僕は無意識のうちに、
「・・メダルゲームやるか!」
と真顔で言い放っていた。

映画の余韻を大事にしたい気持ちより、メダルゲームへの誘惑が上回ったのであった。





その後ゲームセンターに入店。

僕と太田マンはメダルを20枚ずつ無料で貰い、ゲーセン内を見回してやりたい台を探した。

ゲーセンを一周したのち、競馬のメダルゲームをすることになった。

勝ちそうな馬にメダルを賭けるいたってシンプルなゲーム。

僕らは手持ちの各20枚を三連単で賭けていった。

三連単とは、1着、2着、3着となる馬を着順どおりに当てること。

勝つ確率は非常に低いが、その分当たったときの返りが大きく、メダルを一気に獲得できるチャンスがある。

そしてそのチャンスを掴み、20枚というチンケな勝負ではなく、もっと何百枚を賭けた勝負がしたい。

そういう思いで僕らは競馬に挑んだ。




しかし、勝負開始して数レース。
まず僕が先に手持ちの20枚を5分ほどで失った。

賭け馬たちに
「行けぇ!行けぇぇ!」
とだいぶデカい声で叫んだが、1回も勝つことなくストレートで負けた。

熱くなったが最後、勘に任せてベットしていたらあっという間に20枚が雲散霧消。

それからは太田マンの勝負の行方を見守ったが、結局彼も、1回も勝つことなくあっという間に負けてしまった。

勝負の途中に太田マンは、
「なんか調子出てきたな!」
とか、
「流れ掴み始めたぞ!」
とか1回も勝てていないのに言っていた。

熱くなってホラを吹いていたのでダサいなと思った。

しかし、勝負に熱くなっていたのは自分も同じなので、
「いやお前も同じくらいダサいだろ!」
と脳内で自分に毒づいた。

メダルゲームに挑んだ者がメダルゲームに挑む者を卑下することは出来ないのだった。

そしてそこで同時に、我々はもう『大きな家』のこととかすっかり忘れてしまったんだなぁ・・
と改めて気づいた。

映画を観た後というのは少なからず心が浄化されるものだが、我々は馬の動きに一喜一憂して、負けたらキレていた。

「5番の馬!コース取り下手くそかテメェ!」
などとキレていた。

エンドロールを観ながら、
「ひたむきに、人と比べず、丁寧に毎日生きるしかない」
とか考えていた自分は何処に行ってしまったのか。

丁寧に毎日を生きようとしてる奴がメダルゲームでキレるなんてちゃんちゃらおかしい。

もう、映画の余韻など、どこか遠くに消えてしまったんだなぁ・・
と改めて気づいた。

悲しくなってゲーセンを後にする。

太田マンは帰り道、
「おい!映画の話なんもしてねえぞ!」
と、突如として『大きな家』のことを思い出していた。

もう遅いよ。と僕は思った。
もう余韻は消えたよ。と僕は思った。

最高の映画だったのに勿体ないことをしてしまった。

映画関係者の皆様ごめんなさい。





追記。

全国の映画館様。
もう映画の半券とメダルを交換するサービスを人類に提供しないでください。

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