見出し画像

③眠れない子のために

 低体重児で生まれた娘でしたが、何でも食べてくれる子でしたので、ありがたいことに食事にまつわる悩みはありませんでした。生まれた直後は、やせっぽっちでせっかく用意したベビー服も半袖がちょうど長袖のように着せられるほどで、退院のときにベビーシートに寝かせられないくらいの小ささでした。それで、母乳の飲みも悪く、いつもがっかりしていました。初心者の母親は、母乳を与えるまえに赤ちゃんの体重を測り、母乳を飲ませたあとまた体重を測って、その差を赤ちゃんの飲んだ母乳の量として記録することを教わるのですが、最初のうちは全く前後で体重が増えず、やきもきすることが続きました。それなのに、生後四ヶ月くらいから早くも大人の食事を見ては欲しそうにするようになってきましたので、離乳食はとても早く始めました。それ以後は、好き嫌いもなく、本当に助かりました。

 しかし、彼女は「眠らない」のです。保育園でもお昼寝の時間に寝付きが悪く、保育士さんたちを困らせてばかりいました。「おうちでの過ごし方が悪いのではないか」からはじまって、「妊娠中のお母さんの生活が悪かったのでは」まで保育士さんに言われて、私も悩みました。赤ちゃんの寝付きを良くする方法をいろいろ調べて実践してみましたが、どれもこれといった効果はありません。仕方がないので、夜中寝付くまで夫と三人でドライブしたりといったこともありました。娘が寝付くまで、誰かが付き添っていなければなりません。そこで、私はその間(たいてい毎晩、一、二時間はかかりました)、歌を歌うことにしました。私は高校時代合唱部で、もともと歌うことが好きです。子どもが喜びそうな童謡から始めるのですが、次第に種が尽きてきて、合唱曲を歌ったり、何度も同じ曲を歌ったりしました。おそらく、一晩に二十曲くらいは歌っていたと思います。おかげで娘は、言葉をしゃべりだす時期と、歌を歌いだすのが同時、という子どもになりました。

 半年くらい過ぎてからは、今度は赤ちゃん向けの絵本の読み聞かせを始めました。オノマトペがいっぱい入った本が好きで、谷川俊太郎さんの絵本などが大好きでした。教育上読み聞かせがよいだろう、とかそういう意識はなく、とにかく長い寝付くまでの時間をどう過ごすかを考えた結果、母である自分が楽しい時間にしようという結論に達したまでのことです。歌っているときと読み聞かせをしているときは、私自身が楽しい。娘は、絵本を読んでいる途中でいつの間にか寝てしまうということはほとんどなく、最後まで大きな目をじっと見開いて聞いているような子どもでした。少し大きくなると、「この本読んで」と持ってくるようになりました。なにしろ二時間近くも寝ないのですから、枕元にどんどん本が積み重なります。そのうちに、彼女の好みもだんだん分かってきました。

 当時は、子育てと仕事を同時に抱えて、体調が次第に悪化しつつあった頃ですが、ある時から、絵本をとても楽しそうに聞いている娘を見て、「読んで、と言われたら、絶対に断らないようにしよう」と心に決めました。自分なりのルールです。これは、どんなに忙しくても疲れていても守り通しました。大人は何度も同じ本を読むのが苦痛と感じるかもしれません。しかし、子どもに「もう一回」と言われたら、何度でも。そのうちに結構長い絵本でもまるまる文章を覚えてしまい、いい加減に読んだり間違えたりすると、「そこ、ちがう!」と言われるようになりました。

 寝る前に本を読む習慣は、小学生の中学年くらいまで続きました。その頃には長い物語も飽きずに聞くようになりました。最終的には子供向けの読む本がなくなって、漱石の「坊っちゃん」まで読んでいました。娘は、坊っちゃんが赤シャツや野太鼓と釣りに行く場面が好きで、「ターナー島」もすぐ覚えました。読み聞かせをやめたきっかけははっきり思い出せませんが、おそらく、「読んでもらうよりも自分で読んだほうが早い」ということに、娘が自分で気づいたからだと思います。

 他のお母さんたちから「読み聞かせから自分でする読書にどうやったら移行できますか」、というご相談をよく受けます。たいてい、「小さい頃はあんなに絵本を読んであげたのに、本好きにならなくて残念」、と嘆かれるのです。

 私の経験から言えることは、とことん付き合う時期が大切、ということだと思います。子どもはだんだん文字が読めるようになっても、読んで貰うということ自体を楽しみます。言葉は、文字だけでなく、音、声、リズム、さまざまな広がりを子どもに与えてくれます。けれどこのようにとことん付き合えたのも、娘がひとりだったから、かもしれません。何人も同時に育てていらっしゃるお母さん、お父さんのご苦労は、私の想像のほかです。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?