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発症したあの日①〜きっかけ〜




2018年12月。

2つ前の会社(以下A施設とします)で発症。
実は夏頃から瞼の痙攣、なんとなくやる気が出ない、何故か涙が出る、といった症状に悩まされていた。
A施設は、障害者施設。私は生活介護という部署にいた。グループ別に分かれていて、私たちのところは、利用者11人に対して職員は2人。
毎日目まぐるしく、ばたばたとした日々を送っていた。
そんな中、社内で問題が浮上。あまり詳しく書くと身バレに繋がるので辞めますが、
簡単に言うと、どこかのグループが別の建物に引っ越さなきゃいけない、という事案だった。
この問題に対して、当時入社1年目だった私は、自分の意見をまとめあげ、上に意見を出した。たとえそれが却下されても、自分の意見を出すことが大切だと思った。
でも、上司に言われた。

「そんな事したって仕方ないよ、何も変わらない。」

何かがぷっつりと切れてしまった。
もうどうでも良くなった。
そして、あんなに意見を出し合ったのに、最終的には、

「課長会議で決めました。」

と。
半年間に及ぶ話し合いはこれっぽっちも意味がなかったのである。
最初から上の人で決めたいのであれば、さっさとそうして欲しかった。
あの半年間で部内は崩壊した。病む人や、辞める人が続出するくらいに。

私はその中でも、その後1年は頑張って働いた。でも症状は止まらない。
仕事にならない私は、ある日仕事を休んでしまった。

その日から上司に無視されるようになった。

それが辛かった。
もう限界だった私は、すがる思いでメンタルクリニックを受診する事にした。



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