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フォーカスは「田村」+難病

難病なんて・・・・・。自分自身がそうなるとは思わなかった。看護師として、患者に向き合うお手伝いはしていても・・・何で、私が!と言うのが正直な感想。

発症から紐解いてみます。
約4年くらい前、(当時、熊本に在住していました)風邪から喘息が悪化して、喘息の症状が改善された頃から、鼻水・鼻詰まりが出現しずっと継続していました。「なかなか感冒症状が改善されないな??」というくらいで特に気に留めず、過ごしてきましたが・・・。ある日、再度、発熱し鼻を中心に顔面の痛み・鼻詰まり・鼻水がものすごい勢いで症状として現れました。鼻水と言っても、透明なものでもなく、いわゆる青鼻でもない。黄色(オレンジかかったもの)が出ているため、副鼻腔炎(蓄膿症)なんだろうな?と。
その当時は、なかなか仕事も休めず、耳鼻咽喉科のかかりつけもなかったので、今思えばあまりいい対応ではなかったと思いますが、市販薬でしのぐようなことをしていました(看護師として良くないですね・・・)ティッシュペーパーも5パックが1週間でなくなるような、鼻水と鼻詰まりを解消するために、鼻をかんでました。その頃には、嗅覚はなくなっていました。ものすごい、QOLにも影響して、どうにもこうにも・・・・悩み抜いて近くの耳鼻咽喉科へ受診。当時は、コロナウイルスが猛威を奮っており、コロナの症状にも「嗅覚障害」があるため、受診するにも抗原検査必須。ハードルは上がるし、時間もかかる。
「副鼻腔炎」とだけ言われ、処方薬を内服していたのですが、若干よくなった感があるのみでした(クラリスロマイシン処方、慢性副鼻腔炎の標準治療ですね)
その耳鼻咽喉科の医師と折り合いがつかなくなり、喘息でかかっていた内科の医師に継続処方していただいていました。
月日は流れ・・・大阪に引っ越してきました。
引き続き、喘息もありましたので、近医で同じ処方をしていただいて過ごしていましたが、鼻を中心に顔面の痛みがひどく、仕事もままならないようになり「これではダメだ。QOLも含めて改善しないと!このしんどさに決着をつけよう」と思い、市内の耳鼻咽喉科クリニックへ受診。そこは、日帰りでも手術を行っているため、手術をするとしても仕事を休む日数も大丈夫かな?と思いきや医師から「田村さん、好酸球性副鼻腔炎だと思う。それもかなりひどい。全身麻酔で安全に確実に手術した方がいい」とコメント。
やっぱりな!←この感想しかなかったです。
とってもいい先生が診てくれるから、紹介先は任せてもらっていい?とのことで、紹介された病院はJCHO大阪病院。この病院が、今後、私にとってキーポイントになる病院になるとは、考えもしなかったです。
比較的、大きな病院で受診するのは幼少の時の「群馬大学医学部附属病院」以来。ぶどう膜炎(原田病)でした。その頃から、自己免疫に何かしら問題がある日々を過ごしてきたなぁ。成人になってからのアトピー性皮膚炎→喘息(アスピリンNGの体質も)看護師として病院受診の同行はあるにせよ、若干の緊張感・・・。どんなドクターが診察して下さるのだろう?と不安になりましたが、挨拶しお話しはじめたら、その不安は吹っ飛びました。きちっと向き合い、時々、雑談などあり、なにせ目線を合わせていただいた。悩み抜いてここに来た思いを受け止めてくださったのは、本当に救いだったの思い出します。
「その医師は誰よ???」と思っている方もいらっしゃるかと思いますが、JCHO大阪病院の耳鼻咽喉科診療部長の医師です。検索してみてください。SNSやyahoo!オーサーなどメディアによく出演されている方です。めちゃくちゃイケメンです。
様々な検査をして、病理検査などが進みいざ、9月に手術。診断は「好酸球性副鼻腔炎」疾患(名)はさておき、厚生労働省の指定難病である事が、私の頭を支配していました。
好酸球性副鼻腔炎とは
https://www.nanbyou.or.jp/entry/4538
指定難病とは
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000084783.html
手術後は、鼻洗浄(炭酸水素ナトリウムと塩化ナトリウムを水に溶かしたもので)を毎日2回、ナゾネックス点鼻、モンテカスト10mg の内服を開始。
手術後、嗅覚がまたなくなりつつあり、プレドニン内服して様子観察しておりました。
   ↑この太文字が今後の流れを左右するものになるとは、この時は思いもしなかった。。。
難病の特定医療補助の申請・・・。これをしておいた方がいいと、医師にも勧められ医師に「調査票」を書いていただき、他資料を揃えて保健所へ。
申請については→https://www.nanbyou.or.jp/entry/5460
これ、医師の書類はいいのですが、マイナンバーカードでどうにかならないものですかね???

術後の恐怖・・・。この疾患は再発が予想されるものなのです。私の場合は、鼻詰まりと嗅覚がなくなるというものでした。術直後は、鼻の具合もスッキリし嗅覚も戻り、当時住んでいた地域では、海が近いため「潮の香り」を感じられ、清々しいものでしたが一変「何でこうなるんだ!」と怒りにも似た感情が湧き起こり、モヤモヤした日々を過ごしていました。

そんな中、何か体調もおかしいことに気がついたのです。四肢中心に強い痒みを伴う湿疹(赤い膨隆疹)と腹部膨満感、腹痛・下痢・嘔吐。夏も長かったため、季節の変わり目で胃腸の風邪くらいに捉えてました。特に、受診もせず安静と某胃腸薬(市販薬)を飲み改善してきました。
その時、ちょうど上部(↑)太文字もあり、特に気にしていなかったのです。

師走。仕事もバタバタしており、引っ越しの準備もあり胃腸の不調もあったのですが、はっきりとした症状がなく「まずまずだなぁ」と感じながら迎えた2024年。
年明けで仕事でもある2024年の訪問診療も始まり、気合を入れてやろうとした矢先にまたあの症状が。
腹痛・下痢で睡眠不足、腹部膨満感・嘔気・嘔吐で食事もままならなくなり、どうしたものか?と思っていました。
この辺で、きちんと受診してある意味「決着」をつけよう。そうでないと、何も解決しないと決心し症状がある中、比較的、調子のいい時にあれこれ調べながら、辿り着いた疾患がありました。
そう「診断され治療に入りたい」気持ちと
そう「診断ではなく、他の疾患で今しっかり治療して完治できるものがいい」という気持ちが行ったりきたりを繰り返し、複雑な思いを抱えながら、さて?病院はどこにしようか?と。
耳鼻咽喉科の印象がとてもよかったので、JCHO大阪病院に決め飛び込みで受診。検査予約などして待機していました。
そうこうしている矢先に、夜間ですが今まで経験したことのない腹痛・下痢・嘔吐・腹部膨満感による呼吸困難に襲われました。本当に初めてで、看護師でもありますがパニックになりました。「これは、本当にヤバいな」と思い、スマホを握りしめ救急車を手配。深夜でもありますが、消防職員はしっかりと、不安を解消できる声かけなど対応していただき、もしかしたら処置終了し帰宅する可能性もあるなか、JCHO大阪病院に受け入れ要請。許可していただき病院へ。
救急車内で過ごした時間は、正直、はっきりと覚えていません。不安から解放されるかもしれない「藁をもすがる」というのはこういう気持ちなんだろうなぁ。
かなり、消耗しきった体力。食事も取れておらず、痛みも著明ということで即入院。

入院中は、点滴による補液と痛みや嘔気に対する対症療法(アセリオ点滴、プリンペランの静脈内注射)整腸剤投与です。
入院中、上部・下部消化管内視鏡検査をしましたが、当時の症状から下部の内視鏡を行う際に飲む下剤は地獄そのもの。上手く検査できるために必要な事ですが、1クールでダウン。(ドクターすみません・・・。)鎮静をかけて、上部も下部も検査をしました。もちろん、生検(病理検査)も同時に。腹部の超音波検査もしましたね。
ここだけの話ですが、下部消化管内視鏡検査の後、ドクターが「検査の時のこと覚えてる?」とおっしゃっていました。鎮静をかけていたため、朧げながらではありますが、何となくくらいでしたが「はい。覚えています(`・∀・´)」と言ってしまいましたが、正直、何の事だかわからず答えてしまった・・・(汗)私、何をしでかしたのだろう・・・(汗)恥ずかしいなぁ。

日に3回以上の腹痛・嘔気に下痢や身の置き所のない感じ、不安が入り混じる中、早く何かしらの治療を進めて欲しくて(苦痛や不安を払拭したい一心で)看護師に愚痴を言ってしまった。
「心不全なども詳細検査結果もないまま、下肢の浮腫などで利尿剤を使ったりするよね。どうして、医師は~疑いとして、次の治療を始めないのかな?この痛みや苦痛、不安でどうにかなりそうだよ」と。主治医の方針にクレームというか、疑問がメインで心身ぐちゃぐちゃな思いを吐露してしまったのです。
その時も、ドクターは毅然とした口調とエビデンスを踏まえて「病理検査結果が出ないと、その治療をして、他の要因の場合、体に悪さしてしまう。しんどいのは見てわかる。他の痛み止めなど試してみよう」とベッドサイドで肩をさすりながら話してくださった。
医療従事者として、検査結果→治療方針→実施という一種のアルゴリズムは分かっていても、どうしようもない気持ちの時は、マズローの方式みたいになってしまうのですね。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
1月22日、病理検査の結果が出ました。
確定診断「好酸球性胃腸炎」
予想した答えが、最悪な形で正解する。頭の中がポカーンとする同時に、得体の知らない不安感?感情が支配しつつ、ステロイドパルス療法が開始されました。
プレドニン内服もし、あの腹痛や嘔気、腹部膨満感が消えていく感覚を感じ、ステロイドの薬理や投与リスクも感じつつ「神!!」と崇めてもいい。
好酸球性胃腸炎とは
https://www.nanbyou.or.jp/entry/3934
主治医は、きっちりしている印象に加えて寄り添い、私の意向を取り入れて下さる。それに加えて仕事が早い。週末指示内容などもカルテに記載し看護師に指示を出していたそうです。当たり前に思いますが、病院ですから「当直の医師」に依頼することもあります。患者の診療に対し、責任をもった対応に好感しかなかったです。難病の調査票についても、入院中に書き上げてくださり(検査結果出て2日後には連絡あったな)スムーズに手配・手続きできるようにできるのは、患者にとってありがたいことです。誠実さもありエンジ色のスクラブが似合うイケメンです。。。
(白衣のポケットに緑茶のペットボトルが入ってましたね)←わかる人がわかるネタです(笑)

プレドニン(ステロイドパルス)が始まり、比較的にスッキリして「あの腹痛・下痢・嘔気・腹部膨満感」がなくなると思っていました。が、日に数回、腹痛や嘔気がある。藁をもすがるような治療・神と崇めているステロイドでしたが、スッキリ感がなく「どうしてなんだろう?」「よくなって体力回復しバリバリ活動・仕事ができるんじゃなかったのか?」という思いが支配されてきました。難病に向き合う姿勢。良くなったり悪くなったり。完治するものではなく、付き合っていくもの・・・。この意味を痛感させられました。ふと我に返って難病との向き合い方を見失っていました。
幼少期からの「自己免疫」との闘いから今に至る状態。がん告知にも似た衝撃もありつつ、「今は気持ちに正直に泣けるだけ泣こう」と。
事実には抗えない!
未来を生きるため、どうすれば良いか?
悲劇の主役ではないけれど、この文章や発信が、誰かの役に立てれば「今の私」は救われるのではないかな?と思います。
これから、この2つの指定難病と向き合い、付き合う中で治療の内容や思い、周囲の関わりも含め、制度など発信できればと思います。

SNSをはじめ、全ての皆様の励ましやお心遣い本当に感謝いたします。
また、長期休業にて職場をはじめ活動をするメンバー、すみません。
私の治療など支えてくださる、主治医をはじめJCHO大阪病院の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

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