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おとワッカってなんだよ!馬鹿馬鹿しい!!

ファイナルファンタジ〜10の音楽やらBGMやらを聴いてたら朝になってしまった。やっぱり素晴らしい作品だ。海外だとあまり評価されてないらしい、白人共のセンスにはいささか疑いの目を向けてしまう。

大体、おとワッカってなんだよ、本当にファイナルファンタジーをプレイしたことがあるのか。思い返すと長いが、4〜12までのFFシリーズは嘘みたいに面白かった。
中でも10に対する思い入れは特に深い。

普遍的な家庭だったら、子供達はアニメや絵本見て、もしくは周囲の大人から伝承や物語を聞いて育ったはずだが、そんな調子で、僕は幼稚園児の頃からFF10をプレイして育っていた。ゲーマーの叔父からの英才教育だ。父は、僕がゲームをするのを嫌っていた。

この金髪男がティーダだ。手越祐也みたいなルックだけど、多分FF10が発売された01年に流行っていたルックなんだと思う。こいつがとにかく良い性格なんだ。

作中世界では優秀なスポーツ選手でさ、チームでエースをやっている。顔も良くて、性格も明るく活発。明らかにモテてるのにまるで威張る所がないし、時には黙る思慮深さもある。落ち込むと、子供のように項垂れて可愛い。

バカみたいな説明だな、まあ良いや、下手なんだし。

FF10は、どこかスターウォーズに似ている。スターウォーズが古典的な剣と魔法の物語をSFに焼き直したように、FF10も、古典ファンタジーをFFに作り変えたような印象を受ける。
両作品共、挑戦的な作りをしていない分、骨太で、いつの時代にも通用する物語を作り出すことに成功している。

同年代の可愛い女の子との恋愛、父との対決、腐敗した体制に対する批判、大衆の愚かさ、物語が熱くなる要素が全て詰まっている。僕の理想の女性像や体制に対する姿勢は、FF10によって醸成されたと言っても間違いではないと思う。

ティーダのノリの軽さや優しさに、僕は憧れていた。陰口なんか言わなそうだし、陰湿なコミュニケーションもしなさそうな所が好きだった。当時学校のクラスにいた女の子や一部の男の子達のコミュニケーションに、うんざりしながら比較してティーダを見ていた気がする。

今でも同じように思う。改めて、僕はティーダになりたい。ティーダの素直さや優しさが、どれだけ高級で、貴重なものなのかが、今では理解できる。この手の素直な人間は少ない。見習っていこうかな、少しづつ。

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