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剣 15
さてもさてさて
玉千鳥からのお誘いを受けた大沢美好であります。
一度戻り、暮六つ(大体18時)前にまた現れて、亥の刻(大体22時)を待とうかと考えます。
しかし、戻る?
屋敷に戻った所で落ち着きはしない美好の足は、意図せずつい先程後にした神代兵馬の道場へと向かっておりました。
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道場では数人の門弟が木刀を振っている様子だった。
それを師•神代兵馬は見つめているのだろう。
美好は稽古場の戸の後ろで歩を止めた。
またしても顔を出すのが恥ずかしくもあった。
「止め!皆、よう腕を磨いている。」
門弟たちはサッとその場に正座をし、神代の言葉を伺っている。
「皆に問う。何を思うて剣を振っていたか。」
師の問いにそれぞれが答える。襲ってきた賊を見据えて、自分の迷いと向き合って、中には膂力が付いたと喜ぶ者もいた。
「皆、それぞれに正しい。何故なら、皆それぞれに己自
身を見つめていたからだ。」
門弟たちは晴れやかな顔をした。
「剣とは突き詰めた所、己に対するものでしかない。遥
か戦国の世にて、武士が斬り合いをした頃も変わら
ぬ事だ。」
ある門弟が問うた。戦さ場でも変わらぬのかと。
「変わらぬ。その刹那の場にて功だけを焦った者。それ
は余程の天命無くば、自らが斬り伏せられたであろ
う。思うは皆、生きる事よ。
何故、首を取ろうとする。それを生きて持ち帰る為
よ。何故、戦さに勝とうとする。それは先に繋がる
生を欲しているからよ。その己の真実の願いに応え
た者だけが、死の溢れる場で生を掴み取ってきた。
遥か昔より、剣とは自らの欲を問い、生を掴む技。」
門弟たちは深く感銘を受けていた。
大沢美好も戸の影から、師の言葉を聞いた。
気付かぬ内に、その両の拳を震える程に握りしめていた。神代は美好には、この様な話をした事が無かった。
それが何故なのか、少し分かった気がした。
美好はその場で師に礼をし、踵を返そうとした時。
「生きる事、命を軽んずれば、必ず己の命と尊厳も軽く
踏み潰されるものとなる。今の世の生類憐みの令、
その実こそは戦さ場での心構えと変わらぬ。」
神代兵馬の声が一層の張りを持って響いてきた。
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大沢美好は俯いたまま道場の門を後にした。しばしはそのまま、何やらぶつぶつと呟いていた。
やがて大通りの賑わいが近付いてきた頃、不意に顔を上げ晴れやかな顔で言った。
「俺は怖い。あんな気の張りつめた中で死ぬのは嫌だ。」
そのまま美好は笑った。そして賑わいの中に進む。
人の熱を感じた。この熱が命か。確かに凄いものだ。
俺が死ぬかと考えれば、汗が止まらなかった。この中の誰もが今死ぬとなれば、怖く汗も涙も震えも止まらない筈。
武士とて、そうなのだから。
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大沢美好、この土壇場にてまたしても何やら思い至った様子。この男、根は素直なんでしょうね。素直さ故に考えに凝り固まり、取り憑かれる。
だからこそ、何かの強いキッカケがその思いの黒雲を瞬く間に晴らすのかもしれません。
つづく