老獪望郷流れ小唄 1
「えっさ!」
「ほいさ!」
「爺さんや!」
「ほいよ、婆さんや!」
「少しばっかぁ、休まんかねぇ。」
「ほりゃ、こりゃいかん、うっかりしとった!
婆さんは足が悪いんじゃからの。」
手を繋ぎ仲良く歩いてきた小柄な老夫婦がいる。
その足並みはまるで跳ねる様に軽やかに見えたものだが、そうでもないらしい。
二人は川沿いの大きな石に腰を降ろした。
「婆さんや、折角だからここで握り飯を食うかの。」
「そりゃあいい!爺さんや、見てごらんよ。
大きな柳の木だねぇ。」
「ひゃあーこりゃあ見事な葉振りじゃな。
江戸にも、こんな立派な柳があるとはの。」
「田舎でよく二人で行った場所を思い出すねぇ。」
「ああ、婆さんと相引きしとったトコじゃの。」
お爺さんが肩に掛けた旅行李から、宿屋で握ってもらった包みを取り出す。
「奮発して中に梅干しを入れてもらったんじゃ。」
「あれま!そりゃあ口がさっぱりするねぇ。」
二人はそこで少し遠巻きに柳を見、川の水音を聞き、嬉しそうに握り飯を頬張っていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「さて婆さんや、行くとするかの。」
「はいよ、爺さんや。あれ、、あたたっ。」
「大丈夫かの、婆さんや。」
「足に無理が祟ったかねぇ。あたたっ、、」
立ち上がろうとしたお婆さんは地に足を着けようとしたが、どうにも力が入らない。
無理に立とうとしてみたが、今度はよろけて川に落ちそうになる。
お爺さんはお婆さんの身体に手を回し支えている。
「こりゃあ、困ったの。」
お爺さんがそう言った時、駆けて来る足音がした。
その音に何事かと目を向けると、若い女だった。
「大丈夫ですか!?」
「ん?娘さん、どうしたんじゃい?」
「えっ? あ、あの、、お婆ちゃんが川に落ちそうだ
ったんで、心配で。」
「あれま!? 何て優しい娘さんじゃろな。
のう、婆さんや。」
「ほんになぁ、まるで田舎にいるみたいじゃねぇ。」
老夫婦は互いに顔を見合わせ、微笑んだ。
「江戸は人足の町で、荒っぽいトコじゃと聞いとった
のにの。」
「いやいや、爺さんや。人の住む場所は一辺倒じゃな
いもんだわねぇ。」
「お二人は江戸に来たばかりなんですか?」
「そうじゃよ、今着いたトコでの。」
「田舎とは違うと身構えとったんよねぇ。」
そう話す二人に、娘はニコりと微笑み返した。
「あたしも初めに江戸に来た時は、そうでした。
何か怖い町な気がしていて。
でも今は楽しいです。
そんな人ばかりじゃないと知っています。」
「ほう、そうかい、そうかいの。」
「そりゃあいいねぇ。あっ、いたた、、」
娘がまた真顔になる。
「何処か怪我したんですか?」
「婆さんは元から足が悪くての。
この長旅でまた痛めたようでの。」
「ええー!大変じゃないですか!」
「この辺りにええ医者はありますかの?」
「ありますよ! でも、その様子だと、、」
お爺さんに支えられてやっと立っているお婆さんだ。
そんなに遠くはないが、行くのもきっと大変だ。
「おらが支えながら、ゆっくり行くでの。」
お爺さんは笑顔を絶やさず、そう言ってきた。
その顔にまたジーンとする。
「少しここで待ってもらえますか?
ほら、この石に腰掛けて。」
娘はサッとお爺さんとは逆に周り、二人でお婆さんをそっと腰掛けさせた。
「すぐ来ますからね!待ってて下さいね。」
そう言うと娘はまた来た道を駆けて行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ええ娘さんじゃったねえ。」
「ええ娘さんじゃの。」
やがてそう笑い合う老夫婦の元に、あの娘が戻ってきた。今度は男を連れている。
「ほら勇也、あそこ!」
「おっ、またちっこい爺様たちだな。」
「こら!そういう事、言わないの!」
娘は小声で叱る。
男は悪びれもせずに返す。
「悪く言っちゃねぇよ。背負って走るにゃあ、まず身
体のデカさは見なきゃよ。」
「そっか、ごめん。」
娘は咄嗟に手を合わせて微笑んだ。
老夫婦はこちらに向かってくる若い二人のやり取りを聞き、また微笑んだ。
声の中に互いへの信がある気がしたからだ。
「あれま、仲の良い二人じゃの、婆さんや。」
「ほんにねぇ、爺さんや。
おらたちみたいだねぇ。」
「お婆ちゃん、この人が背負ってくれるからね。」
「美代、先に良源先生んトコに走ってくれ。
留守なら捜さにゃだからよ。」
「そうだね。行ってくる!」
掛け出す美代を目で送ると
勇也はお婆さんの前に背を向けてしゃがみ込んだ。
「婆ちゃん、背中に乗れるかい?」
「儂が支えるからの。」
「済まないねえ。」
そんなこんなで、お婆さんを背負いお爺さんの手を引きながら、勇也は美代の後を追って皆川良源邸へと向かい始めた。
つづく