老獪望郷流れ小唄 6
「頭、頭ぁー起きてますだろかぁ?」
帰るとすぐに勇也と美代の住まいの戸を叩く者がある。
「ん?この声わぁ、、」
「誰?勇也、分かる?」
「太助だな。」
戸を開けると確かに太助が立っていた。
「あ、あのぅ、夜分遅くにぃ申し訳ねぇこってぇ、、
あ、あのぅ、、」
「何だよ、太助。そんな事ぁ気にすんな。それよりど
うした?それこそ夜更けにお前が来るなんざあ、何
かあったな。」
「太助さん、何か飲む?」
後ろから美代が顔を出す。
太助の喋りを聞いて、口が乾いて喉が張り付いているのに気付いたのだろう。
「頭ぁ、また出たかもしんねぇんだぁ、、」
「何にぃ、、」
勇也は思わず後ろを振り返った。美代は眉根を寄せているが、勇也の目を見てコクりと頷いた。
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「赤子が歩き回るか。お咲さんは家に帰っていなさ
い。俺が見てこよう。」
皆川良源はそう言うが
「でも赤子が野犬にでも食い付かれてるんなら、女手
も要りましょう。」
「ああ、そういう事かい。」
お咲もまさか赤ん坊が歩いて回るなんて考えてはいない。野犬が餌に捨て子を咥えていたら大事だ。すぐに助けて治療しなければと思っているのだ。
「よし、もし俺が見つけて手がいる様なら、お咲さん
のトコに声を掛けにいこう。それで、どうだい?」
「分かりました。お待ちしてます。」
お咲はやっと聞き分けてくれた。
「何にしても、夜更けに女のひとり歩きも何があるか
分からないからね。」
「では、先生お願いします。」
「おうさ、そこまで一緒に行こう。」
良源とお咲は連れ立って歩き始めた。
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皆川良源の診療所は、信幸の屋台がある広場の近くにある。皆が集まる目印にする川沿いの柳の木は、診療所の前の通りを出れば直ぐに姿を現す。
おぎゃあ、おぎゃあ。
その柳が見え始めた頃、またしても赤子の泣き声が響いた。
「先生。」
「うむ。近いな。」
「さっきまでは、あたしの家の近くでしたんです。」
お咲の家は良源の診療所の裏にある長屋だ。
この柳とはそんなに遠くはないが、赤子が動くとなれば決して近くはない。
朱い月、朱い月
こんな所にありやした。
ひっくり返して、拾って掠め
オラが国まで、走って帰ろ。
帰り着いたら、皆で囲んで
美味い飯でも食いなんせえ。
不意に小唄が聞こえた。
嗄れた聞き覚えの無い声だ。
「はあ、親があやして歩いてるんですね。
良かった。」
お咲が安堵の声を漏らすが、良源には気に掛かった。
「誰だ?この辺りに赤子を産んだ者なんていたか
い?それにこの声は年寄りだ。」
「えっ、、確かに、心当たりはありませんね。」
「ちょいと見てくるとしよう。」
「あたしも行きます。えっ!」
良源が手でそれを止めようとした時、お咲の足元に着物の裾を握って俯いた赤子が立っていた。
「何だって!赤子が立っている。」
これには良源も驚いた。姿形は全くの赤子である。
短く曲がった足で立てる筈なぞない。
お咲はとっさに赤子から離れようとしたが、その手が裾を離さない。無理に引けば破れてしまいそうな程に強い力で掴んでいる。
「先生!」
お咲が恐怖に叫んだ時
おぎゃあ、おぎゃあと赤子が泣き始めた。
そしてゆっくりと顔をお咲に向け上げた。
「ひゃああぁー!」
そこには年老いた男の顔がのっていたのだ。
良源が引き剥がそうと手を伸ばす。
赤子はそれを避け、お咲の胸元へと跳ね登る。
お咲はそれを払おうとするが、自然と左手で抱き抱える様となる。その左手に泣き声を上げた赤子がへばり付いた。
「お、重い、、」
お咲の身体が左に傾ぐ。胸元に左手、左手に右手を巻き付けて赤子は更に強く泣く。
良源は舌打ちをする。
こいつはしくじった。
こんなにべったり張り付かれたら、手が出せねえ。
良源には事の成り行きを見つめるしか出来なかった。
つづく