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三忍道中膝転げ 4
久土山という場所は高野山へと登る盆地である。高い山の峰に囲まれたこの土地には静かな時が流れ、人の心もまた落ち着いた豊かさを持っていた。
真田信繁(幸村)はこの高野山に、関ヶ原にて敵陣に付いた咎として蟄居を命じられていた。
とはいえ信繁という男には憎めない愛嬌があった。
高野山蓮華定院にて周りから見張られる身ではあったが、純粋な人々の心にスッと入り込み、瞬く間に溶け込んでみせた。
秋も深まってきた頃には、よく久土山の町まで下り町人と酒を酌み交わしていた。しばし後には冬の寒さが厳しかろうと、この久土山に下り庵を構える事となる。
その事がすんなりと行くのも、人柄故であったかもしれない。
そして信繁は、今宵も小さな居酒屋にて酒を飲んでいる。
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「いやあ〜お侍様、お酒強いの!」
「いやいや、爺様こそ中々のもんだ。」
「こいつは食う呑むには底が無いのだわい。」
「そうか、そうか。いや、気に入った!どんどんやってくれ。お代は俺が持つ!」
「いえ、御武家様にそのような、、」
「いいでねぇかあーご馳走になるべ!」
「しかし儂らはただの旅の者だ。恩も返せない。」
「まあ、そうだ。申し訳ないわい。」
「あーじゃあ、俺が酔っ払ったら、山まで運んでくれ。
それがいい、そうしよう!」
「ああ、だったら貸し借り無しだの。お前ら、呑んで食おうや、の!」
はしゃぐ五助に茂平と兵衛門が苦笑いをしている。
茂平が久土山に行って会おうとしたのが、この侍•真田信繁である。
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酔い潰れた信繁は呂律の回らない調子で、兵衛門の背の上から行く先を指図している。
「何とも、こんな険しい山道を通っとるのか。」
「あ〜足腰が弱ると人間終わりだからなあー。」
岩肌が剥き出した上を信繁を背負ったまま登っていくのは茂平たちでも厳しかった。そんな皆が肩で息する中、楽に揺られる当の信繁はいびきをかき始めている。
「寝おったわ。」
「侍ともなれば、足腰は大事か。」
「だけんどぉ、これは険しいじゃろ。」
「全くだ。道案内が寝てしまっては、尚更よ。」
「ここを登れば獣道があると言ってたな。まず、そこまで行こう。」
ぶつぶつと言いながらも、三人の老人は足が滑らぬ様に気を払いながら登っていく。すると何やら少し開けた場所に着いた。
「はあ〜ちょ、ちょっとだけ休む事に、、」
五助はへたへたと座り込んだ。
「ここからが獣道に繋がるのなら、一旦起こさねばならん。一休みにはちょうど良かろう。」
兵衛門も信繁をそっと下ろしている。
「そうだな。確かに険しい。少し休んでから、この先の道を聞こう。」
「何だ、涼しい顔しておったが、お主もキツかったのか。」
地に腰を下ろした茂平に兵衛門が笑った。
その時。
「だろうなあ。まともな年寄りに登れるものじゃない。しかも俺を背負ってなんてなあ。」
三人がギクリとして目をやると、草に横たえた筈の真田信繁が岩に座って、こちらを見ていた。
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「何じゃとお、、全く分からんかったの。」
「いつの間に動きおった。」
五助と兵衛門が驚き固まる。忍びにとっては、気配に気付けないのは死を意味する。
「ん?何だい?あんたは驚かないんだな。」
信繁の目が細まる。
「この山道は厳し過ぎる。侍の足では登れまい。」
茂平は静かに答えた。
「てことは、俺が炙り出してやろうとしてたのに、気付いてたって事か。」
「薄々は。」
「ふぅん、それでも来たのかい?何か余程の事かね。」
「儂の願いだ。この二人は付き合ったに過ぎない。」
「願い?」
「儂は伊賀の忍び。」
「やはりか。だが、こいつは頼まれた仕事じゃないだろう。戦さの始末は着いた。今、俺を調べる理屈は無いだろうからなあ。」
「儂のひとりの願いだと言った。」
「ふん、そうか。で、一体何なんだ、その願いっていうのは?」
茂平は一旦黙った。何か気持ちに踏ん切りを付けようとしている様に見えた。信繁はその姿に何やら違和感を覚えていた。
真田は元々、甲賀の忍びを使っている。つまりは忍びという者が、気持ちを動かすという事自体が有ってはならぬと心得ていた。だがこの老人は今、気持ちで話そうとしている。やはり私情というのは嘘ではないのだろうが、、一介の老忍者にそれ程までの願いがあるとも思えなかった。
「大阪城の秀頼公に一目でいい、会いたい。」
とぼけた風を装っていた真田信繁が、ここで初めて目を見開いていた。
つづく