剣 12
さてもさてさて
師である神代兵馬に言われた言葉に憤りを隠せない、大沢美好であります。それには美好が置かれた現実も関わりがあるようです。
しばしその姿を追ってみましょうか。
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道場を後にした大沢美好は、来た道を同じ様に帰った。
木々の騒めきを見上げ、賑わう店先を覗き、人の波を歩いた。
己を見る他人の目。
美好は師に言われた言葉を感じてみようとしていた。
だが、美好にはピンとくる感じがしない。
(これは俺が未熟だからなのか。)
唇をギュッと締め、神経を研ぎ澄まさんとする。
己の周りを行く人々の流れを感じてみせようと、更に歩を進める。
そんな時、美好の背に子供の腕が当たった。
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「申し訳御座いません、御武家様。どうか、どうかお許
し下さい。」
振り返った美好の眼光に固まる子供の母親だろう。
飛び出し、跪き必死に頭を下げ詫び続けている。
やがて子供の目に涙が浮かんできた。
周りにも人垣が出来た。皆、事の成り行きを心配そうに見ている。
「生類憐みの令」
武士ならば無礼な事をと剣を抜く者もあっただろう。
だが今はそれさえも許されぬ事となっている。
犬猫だけではない、人も命がある。その命を粗末にしてはならぬというのだ。
「か、構わぬ。子供の事、、故な。」
美好はそれだけ搾り出した。
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サっと踵を返した美好は真っ直ぐに屋敷へと戻った。
心なしか、その歩みが早かった。
帰るなり庭に出た美好は、腰から剣を引き抜いた。
それを大上段に構え、振り下ろす。
右腕にピリッとした痛みがある。
だがそれに構わず、美好は剣を振り続ける。
身体にびっしりと汗が沸いた。
額の汗が目に入った時に美好の腕は止まった。
キツく左目を閉じて痛みに耐えている。
「くそっ!汗の流れにすら気付けぬのか、俺は!」
思わず悪態をついていた。
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背後の子供の動きに気付けなかった。
流れる汗の行方さえ読めなかった。
あの男は数日やると言った。
ならば再び現れ決断を迫ってくるという事だ。
仲間にならぬと答えれば、自分を殺しにくる。
仲間になると答えれば、誰かを殺しに行く事となる。
俺はまだ死ぬつもりはない。
ならばどちらに転んでも、人を斬らねばならない。
「だというのに!」
憤りが声に乗った。
(師よ!身を守る剣では駄目なのだ!
人を斬れねば、何も始まらぬ!俺には時が無い!)
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そう思い唸る大沢美好でありました。
自分の腕に自信はあれど、あの場の冷ややかな感覚を忘れた訳ではありません。
そして師より言われた斬れない理由、、、
それを振り払う為に歩き、剣を抜いたというのに、、
かえって師の言葉を裏付けてしまう結果となりました。
玉千鳥は殺しの稼業。次も同じ手とは限りません。
もし違う得物があったなら、違う手口があったなら。
それを思うと、動きを止めたというのに汗が止まらぬ大沢美好でありました。
つづく