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剣 4

さてもさてさて

その裏口から出て来た男を見て、大沢美好は色めき立っております。

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「旦那、大丈夫ですか?こっちはお暗いですから、、
 本当に灯りは宜しいので?」

この船宿の女中といったところか。
侍相手に背に手を添えている。

「何ぁに、あまり人の目に付きたくは無い。それより
 も、中の方に籠を頼んだぞ。」

「はい、それはもう。」

「あの方に口をきいてもらえれば、この御時世でも我
 が家は安泰なのだ。丁重に、丁重にな。」

「分かってますよ。そうなれば、あたしたちの事だっ
 て、、ねえ。」

美好は息を殺して、そのやり取りを見つめている。
早い話が武士ともあろう者が、酒を振る舞い我が身の保身を謀っていたのだろう。
おまけにこの女中は、この侍の色だ。

「いや、少し飲み過ぎたか。川風が心地良い。」

「旦那ぁ、お気を付けて。」

女が暗いを逆手にしなだれ掛かる。

「おう、おお。また使いを寄越すからな。」

ふざけた事を!
自分は旗本の次男故に食うにも必死、ましてや嫁なぞというに!こいつは色まで持っているのか!そんな怒りが込み上げてくる。

それにだ!剣を振るえぬとなり、新たな暮らしの足場を口きいてもらおうという腹積りに違いない。
相手は誰だ?城勤めの奉行か?

そこまで考えて美好は嫌になった。
兄も城に勤めている。だが歯車のひとつに過ぎない。
誰かを、いや!我が身に口きくも叶わない。
世の中やはり間違っておる!

美好はぼんやりとした薄灯りに、しばし身を預けていた女中が引っ込み、男がフラりと歩き始めたのを確かめてから闇から這い出した。

足音を立てぬ様に気を配りながら美好は男との間を詰める。目が大分と闇に慣れた。これならばと刀の鯉口を静かに切っておく。両の手は鞘元と柄に添えてある。

つまりは狙いを定めた。
気に入らなかったのだ。
ただ、それだけに過ぎない次第だ。

男は後ろから寄り付く美好には全く気付かない。
いよいよ美好の剣の間合いかと握る両の手に力を込めようとした刹那に、それは現れた。

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立て掛けられた材木の裏からスッと風の様に、黒い影が躍り出たのだ。

その影は美好が今まさに斬らんとした男の背に張り付く。くぐもった声がする。どうやら後ろから口を塞いだ様だった。無様に身体を左右に振っている。腰の刀には手さえ伸ばしていない。大きく広げられた両腕が振り回されるのが見えた。

灯りは遠く薄闇に過ぎない。側からは何も見えまい。ただ男の荒く引き攣った声だけが生きた。
しかしその声も長くは続かなかった。バシャアァーという音に取って代わった。

美好は何事かと、さらに目を凝らす。
通りに水を巻く夏の日を思い出す。
ああ、何かが土の上に巻かれたのか?
男の身体がくるくると回るのを見た。
影は角度を変え、回る男の背の片方に寄っている。
心なしか身体を屈めているようだ。
そして回りながら、また材木の中に帰っていった。

そこで美好にも合点が行った。
この影、後ろから首筋を裂いたのだ。
この打ち水の如き音は、男の首から吹いた血に違いない。人の身体にはこれ程の血があるのか?
影が離れた身体は自らの血の勢いに押され、バタりと倒れ伏した。

「見たな。」

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何処から響いてくる声に大沢美好は跳ね飛ばんばかりに驚いております。それはまるで、あの世の闇から聞こえるように冷たく透き通っておりました。


つづく

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