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三忍道中膝転げ 1

「淀殿、何を思い出されておりますか。」

誰もいないはずの広間で不意に声がする。その方を見た時、淀の眉が僅かにひそまった。

「主か、、まだ何か用があると申すか。」

「これはこれは、随分と冷ややかな御言葉。」

「好きに取るがよい。」

「儂の助言が無ければ、今もありませぬというのに。」

「果心居士よ、主の助言は有り難く受けた。されど、世の理には口を挟むでない。」

「ふぉふぉっ、貴女様が既に理に逆らっておると言うに、その戯言で御座いますかのぉ。」

「物の怪めが、消えろと言うておる!」

淀の殺気を纏った目が果心居士と呼ばれた老人を射抜く。老人はわざと大仰に頭を手で隠してみせるが、奇妙な笑い声を止めようとはしていない。

何が楽しいというのか?

「まあまぁ、良いでしょう。物の怪で御座いますかぁ、
ふぉふぉふぉっ、その御言葉、今は聞かぬ事と致しましょう。されば淀殿、精々とこの世の春を謳歌なさいます事を。ふぉふぉ、ふぉふぉっ、、」

耳障りな笑い声が闇に紛れていく。老人の姿さえも黒に溶けていた。

「物の怪、、何を申されましょうや。世の理こそが我らを蔑めたに過ぎぬ。今こそが、あるべき世でありましょう、のう太閤殿下よ。」

淀はじっと目を閉じて、己さえも闇に紛れようとしていた。

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「何と申されますか、半蔵殿!?」

伊賀の里に暮らす老忍者•茂平は、家康の使者として現れた伊賀忍軍頭領•服部半蔵の言葉に目を向いていた。

「家康殿からの命である。聞き入れてもらいたい。」

「されど何故に我が孫でありましょうや。」

「ほれ、それじゃ、その子の懐にある朱い珠の事よ。」

まだ幼い子の懐には、大切に身につけている珠がある。
あるよく晴れた月夜の事。その朱き珠は天より落ちて来た。それは木を抉り葉を散らせる勢いであったものが、急にふわりと宙に留まりこの子の手の平へと収まったものである。

茂平は孫の傍らにて、その様を確かに見ていた。
これは何かしらの天命やも知れぬと感じたのを覚えている。だから伊賀の者に達しがあった時、包み隠さずに伝えたのだ。孫には運があるのではないかと、僅かな願いを込めていた。

「その珠は豊臣家ゆかりのものだという。淀殿を通じた秀頼様からの願い故、家康殿も捜して参った物。既に他の者は甲賀を使い、その幾つかを見つけ献上しておると聞く。」

豊臣五大老に名を連ねる徳川家康にとって、幼き秀吉の一子•秀頼を立てる手柄は政略としては欲する所。
勿論、豊臣の家中にて信用を得て、権力を強めるのが望みである。そして行く行くはと、策を弄している。

「では、珠をお渡しすれば良いのでは。」

「ふむ。確かにそうなのだが、、此度はどうしても、その子と共にとの申し付けなのじゃ。」

「何故に、、」

「拙者にも分からぬ。が、お主から聞いた珠の落ち様に訳があると見た。知らせを聞いた淀殿からの申し付けだという。」

「何と!余計な事を申してしまいましたか?」

「いや、起きたままに伝えてくれるは間違うてはおらぬ。家康殿も出来したと大層喜んでおられる。上手く行けば、豊臣に召し抱えられ、殿の目となるやもしれぬからな。」

随分と勝手な事を。まだ三つになったばかりの子だ。忍びとして草が務まると思っているのか?いや、此度は既に伊賀の里の者とは知られておるのだから、市井の者として偽りに生きる草ともまた違う。よりきな臭く、面倒な御役目になるであろうに。

「お主の言いたい事も分かる。されど今は、その朱き珠を持ち大阪城に孫を連れていくしかあるまい。」

半蔵がもう問答は終わりだとばかりに言った。どうなるかなどは分かりはしないのだ。隠して逃げたとて、孫の身に危険が及ぶには違いない。

朱い珠は腹巻の中に入れて肌身離さず持たせていた。
握れば幼い拳からはみ出す珠だ。重いに違いない物だが、何故かそれがあると気分が穏やかになるという。
幼子の言葉とはいえ、傍目にもその様子を見れば納得は出来た。

伊賀の貧しい里の子には見えず、何やら気品の様なものを感じる立ち振る舞いであった。

この子は、、生まれる親を間違えたのやも知れぬ。
茂平はそう思っていたものだった。


つづく

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