老獪望郷流れ小唄 7

「この野郎!離すで御座んす!」

虚を突かれた良源の耳に走り来る足音が聞こえた。
ひとつは脱兎の如く素早く足を動かし、もうひとつは規則正しい音をさせた。
そう思った時には、お咲の腕に取り付く男の姿があった。

「良源先生!?大丈夫ですか?」

規則正しく、そのくせに早い足音の主が良源の傍らに来る。

「お雪さんじゃないか。何だってこんな時分に?」

「痛い!」

お咲の悲鳴が上がる。

「てぇえい、無理にゃあ剥がせねぇで御座んすか。」

「あれは、、佐納流園さんかい?」

「はい、良源先生。信幸さんの屋台から帰るトコだっ
 たんですがぁ、、妙な赤ん坊の声がするもんだから
 、流園さんと見に来たんです。」

お雪が早口で良源に答える。

「良源先生?こいつぁあ、どうしたもんですかい!」

流園も良源に気付き叫ぶ。その声に釣られた様に赤子の泣き声が大きくなる。

「重い、、ああ、、」

赤ん坊が泣けば泣く程、重くなる様だ。お咲は最早立ってもいられない。身体を捩る姿で左手がもう土の上に着いている。

「畜生め!物の怪が!」

「先生、何か知恵はありませんか?」

流園とお咲の声がする。
甘かったか、、物の怪が出るまでは考えていたが、こうもへばり付く奴だとまでは考えていなかった。
うまく立ち回り、何とか物の怪の正体と術者を見つけられたらと思っていたのだ。良源もここまでお咲に密着されていては、、

「仕掛けようがねえ。」

ん?、、仕掛ける?
皆川良源は医者であろう?
その医者が何をもって、仕掛けると言うのか?

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「おーい!大丈夫かあ!?」

勇也の声が響き渡った。

「勇さん!」

「勇也!」

「一体、何がどうなってやがる?」

流園と雪が様子を伝える。

「とは言え、剥がさねぇままにしときゃあ、、」

「お咲さんの腕が潰されちまうな。」

良源の言葉に一同が震える。
そんな中、勇也がふと雪の傍らにある大きな徳利に目をやった。

「お雪さん、そいつぁ確かぁ?」

「えっ、ええ、信幸さんに詰めてもらったお酒。」

「確かぁ、流園さんのだったかい?」

「へい、今のあっしにとっちゃあ、酒だけが頼りで
 御座んすから。」

勇也は二人の言葉を聞きながら、何やら思案顔をしている。

「か、頭ぁ、、見つかったんですかぁ。」

そんな勇也に別の場所を走って探していた太助がやってきて、声を掛けた。

「なあ太助。赤ん坊くらいの大きさの奴にゃあ、酒は
 キツいんじゃねぇか?どう思う?」

いきなり聞かれた太助は少し面食らった様だったが

「確かに田舎の爺様方も、飲める量が減っちまったあ
 って、よく言ってましたぁ。」

「よし!流園さん、今夜は我慢してもらえるかい?
 明日、俺が奢るからよお。」

「ああ、よ御座んす。」

流園は勇也の意を判ったとばかりに応えた。

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赤子は今は泣き止んでいる。物の怪のくせに触られて機嫌が悪くなったから泣きましたなんて、人の赤子みたいな事を言うってのか?

「勇さん、せえので俺と流園さんで赤子の口を向ける
 から、いいかい?」

「おうよ!お雪ちゃんはお咲さんの身体をしっかり支
 えといてくれよ。」

「あいよ。任しといてくれよ。」

「じゃあ、やるぜ。」

良源の掛け声で皆が一斉に動く。
良源と流園が二人掛かりで、地に伏しているお咲の左腕を持ち上げへばり付いた赤子の顔を見える様にする。雪はそのままお咲の身体が捻じ切れない様に手を添え支えた。

そして外に向けられ、またしても泣き始めた赤子の口に、勇也が大徳利の酒を流し込んだ。

おぎゃあ、おぎゃ!うげぇ、ごほ、ごほぉ!

赤子が盛大に咽せかえった。勇也はそれでも酒を注ぎ続ける。許さねぇぜとばかりに続けていると、やがて赤子の手がお咲から離れ自らの口を塞いだ。

「今だ!」

勇也の声に、良源•流園•雪の三人はお咲の身体を引っ張り引き剥がした。ボキりと音はしたが上手く運ぷ。

「ようし!剥がれたぜぇ!しばらく鳴りを潜めていや
 がったってぇのによお、一体何匹いやがるんだ!」

勇也は叫びながら腰の棒を引き抜き伸ばし、地を這う赤子を殴りつけた。

カキーン!と高い音が江戸の夜に響いた。


つづく




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