胡瓜畑攻防戦 1
「あー、夏はこれだ。冷やした胡瓜、最高だあ。
働いた後の熱った身体には、こいつと冷酒。
なあ信さん、そう思うだろ?」
勇也はうどん屋台の前に置いた樽に座り、まったりと呆けて至福の時に浸っていた。
昼間は親父から引き継いだ人足たちと、江戸の埋め立てに精を出している。
若いが腕と仕切りがいいと評判の男だ。
だが夏の暑い最中に力仕事。
それに自分より年嵩が上の連中を纏めるともなれば、気も張るだろう。
「俺も胡瓜は好きですよ。身体が冷えていい。」
うどん屋台を仕切る男、信幸は元武士だ。
この前の大戦さの負け方で、国を無くしたらしい。
一度は勇也のとこで人足をしたが、使いものにはならなかった。
だが、だからと言って、それで駄目な人間だという訳じゃない。
今はこうしてうどんを手打ちし商売で身を立てている。
綺麗な嫁さんと二人、仲睦まじい様だ。
「だよなあー、俺はよ、この夕暮れの仕事終わりに、
信さんの屋台で胡瓜を齧ると、あー今日も働いたぁ
って気になんだよ。」
「そいつは勇さん、嬉しい話で。」
また一口齧り付く。
ヒヤリとした感触、コリコリとした噛み心地、広がる水気に、また惚けた顔になる。
心底、幸せを感じているのだ。
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「勇っ也あぁーーーーー!」
その声に勇也は樽からずり落ちそうになる。
屈強な野郎どもを使いこなすこの若者にも弱味はあるのだ。
「な、何だよ!何怒ってんだ?
俺ぁ、何もしてねぇだろ!?」
「もーう!勇也!」
屋台の後ろからおかみさんが出て来る。
「あら、お美代ちゃん。
どうしたの大きな声出して?」
「お紫乃さぁん、それがね、、、
あ!これ今日採れた胡瓜です。」
美代の手には桶一杯の胡瓜がある。
元々は父親と小麦を栽培しうどん屋台に卸していた娘である。父の死と共に畑を譲り今は胡瓜を作っている。
夕刻過ぎからは屋台を手伝いに来る。
江戸は水には事欠かない。胡瓜を作るにはもってこいの川辺に住まいがある。
その住まいや胡瓜畑は、勇也が世話したものだ。
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「俺が、んな事ぁする訳ねぇだろ!?」
「本当に?」
「お美代ちゃん、流石にそれは勇也さんを疑い過ぎ
だわ。ねえ?」
「確かになあ。しかし日に五本とはね。律儀な盗っ人
だなあ。」
「勇也なら夜中に腹が空いたとか、やりそうだもん。
きっちり五本だもの。多すぎず少なすぎず。」
どうやら美代の畑から、毎夜胡瓜が五本だけ無くなるらしい。
真面目な娘だ。暮らしの足しにもなればと始めたのだから、実りの数や卸しの数を確かめている。
どこかそれが、父を亡くした隙間を埋める事にもなっているのかもしれない。
勇也もそんな美代のいじらしさを好ましく思い、何かと気にかけていた。
「待てよ!わざわざ夜中におめぇの家まで行ったんな
らよお。顔見に行くだろが。」
パチン!
「うおぉ!」
「はあ!?あたしの寝顔を見てどうする気よ!」
信幸と紫乃は顔を見合わせた。
仲がいいのか悪いのか?
赤くした頬を抑え樽から転げた勇也と、同じく頬を赤らめまだ何事か言っている美代を見ながら、紫乃だけがゆったりと微笑んでいた。
つづく
https://note.com/clever_hyssop818/n/nf19607f0bf9d