天空凧揚げ合戦 11
林道の出口が近づくと、大きな松の木がほぼ平行に並んでいる。
その松を過ぎると、巨大な蛇の腹の中みたいな道が終わる。
そこを抜ける事は、江戸から吐き出される事だ。
暗闇から広い世界に投げ出される事だ。
身の安全の欠片も無い、戦さ後の世の中。
食うに食えず彷徨う者たちの根城。
だが雪はその世界に光があるのを知っていた。
あんなに辛くて江戸に来たのに、木々に遮られていた光が溢れると喜びを感じた。
悪い事だけの世界なんて無いんだ。
あの辛さを知るから、今の喜びが分かる。
そんな事が分かり始めて、自分が少し大人になったのだと気付いた。
前があるから今がある。
今を噛み締める事が出来る。
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その前を雪が走り過ぎると、松から松へと双方から苦無が飛んだ。
苦無には網の端が縛られている。
二重に重なった網が松の間に張られた。
天狗は勇也の後ろにも凧がある事に気付きクルりと身体を回していた。
その体制のまま松に辿り着いた。
だから肩口から網の中へと吸い込まれたのだ。
「グワッ、グアァー!」
激しく動く手足や羽が網を揺らせ捻る。
松に刺さった苦無が悲鳴を上げる。
「うお!やったぜ!あ、あれ!?」
宗矩がさらに馬の歩を緩め向きを変え、勇也が歓声を上げた目の前で松が大きく傾いだ。
宗矩の目に苦無が引き抜かれ、網の中で踠きながら宙を転がり落ちる天狗が見えた。
そのままもんどり打った様に地に近付いてくる。
「ヤバい!来たぜ!」
「しっかり捕まっていろ!」
二人がそんな事を言う刹那。
地に落ちるかと見られた天狗は激しい衝撃と共に、再び前方に向け舞い上がっていた。
宗矩と勇也の馬が宙に舞う。
天狗が地に向けて、あの技を放ったのだ。
身動きが儘ならぬ故に威力は弱かったが、網を切り加速させるには充分だった。
天狗は真っ直ぐ雪を追っている。
後ろには凧の群れ。
ならば先頭から迎え撃てば良い。
そういう事だ。
だから先頭にいる雪を超え、まず初めの一人にすれば良いのだ。
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伊賀忍びは無能では無い。
松から苦無を打った後、ぼんやりと事の顛末を見詰めたりはしない。
木の枝を跳び、雪を追っている。
それは同時に、網だけで全て上手くいくなどという楽観さを持っていないという事でもある。
天狗の少し先を行く雪と天狗の間に位置した忍びは、雪の背負う大凧に向け苦無を打った。
正確には大凧の真ん中にある綱を切る為に。
「ぐうっ!何!?」
雪の腹が絞り切られるかと思う程の力が掛かる。
流石に天を仰ぎ見ると、そこには大きく広がった風呂敷の様な物があった。
「スゲーーーーー!大凧が開いたあ!」
間一髪で馬ごと着地出来た宗矩と勇也も、天を見ながらまた走り出している。
「あんな、凧だった、、重いに決まってる。」
雪はその場に立ち尽くした。
凧が広がった以上、最早走るのは無理だ。
己の技の勢いで加速していた天狗は、またしてもその風呂敷に飛び込む事となった。
今度は網ではない。
大きな布の様な物だ。
網目から外を見る事も出来ない。
どちらが天でどちらが地かも分からない。
天狗は傲慢な物の怪だ。
だから先に網を張った。
網を切り抜ける実績を積ませた。
今度も簡単に突破出来ると、傲慢な油断を呼ぶ為に。
「お雪ちゃーん!」
「御免!」
宗矩が刀を抜いた。
何だぁ、用済みって事かい?
雪はそう思った。
宗矩がすれ違いざまに雪の腰から伸びる紐を斬った。
そのまま馬の首を返し、戻り際に勇也が雪の手を取り引き上げる。
「よっしゃあ!なぁお侍さん、俺ら息ピッタリなんじ
ゃねえかい!?」
「ああ。」
三人を乗せた馬の前に、凧を引く馬たちが迫って来るのが見えた。
つづく
https://note.com/clever_hyssop818/n/nbe60a9ac787b