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【PT7】帰還せし咎人

目の前が輝いている。
これは何だ!何が起きたか!

江戸は物の怪の元を断ち切り、ゆるやかなる時を得ていた。柳生宗矩には妻があったが、隠れ人として暗躍する間は共に過ごし求めてきた。

つまりは世には出られぬ愛妾であろう。
それを不満とも思ってはこなかった。

ただ江戸が落ち着いたなら宗矩と顔を合わせる機会は少なくもなる。それを寂しいと思うに、自分は女だと気付かされる。

女、、自らを示すものはそれである。
そして、この腰にある脇差しと松方澪という名。
後は何も分からぬままに、この江戸に流れ着いていた。
この桜楽館という女たちが身を売り稼ぐ場の用心棒として過ごす日々に、最早忘れ去った記憶なぞ要らぬと思ってきた。

だがそれも、やはり宗矩あっての事だったのかもしれない。そう思い至る度に、自分がこの場にいる刻は終わったのかもしれないと、口の端で笑う事が増える。

でも、、ならば何処に行けというのか?
何も無い女、それでも時折浮かび上がる血の色。
全て思い出したとしても、暖かく向かい入れてくれる場なぞは持っていまい。

その予感が、また澪を寂しくした。
そんな想いにきつく閉じた目を開いた時、溢れる様な光が見えた。

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眩暈がする。何も見えない。激しい光が五感を麻痺させ、久しぶりに頭が割れる様な痛みが走る。澪の手は脇差しを握ろうとする。それは癖の様なものだ。自分が不明になったなら、何処から襲われるかも分からない。

頭で覚えていようがいまいが、自分自身である以上は身体が覚えている。記憶とは命に刻まれるものなのだから。不覚とあれば死を思うのが、松方澪の烙印なのであろう。

しかしいくら手を弄ろうとも、その腰に刀は無かった。
奪われたかと思うが、それに気付かぬ己ではない。
では、何故丸腰であろうか!

あの時と似ている。江戸で目を覚まし無頼に襲われた時と。その感覚が澪をらしくもなく焦らせる。

「まあ、貴女は!」

そんな澪に声が向けられた。
何だ?誰の声か?
不信に思うが、妙な柔らかさがある。
澪は声のする方へと向かう。

「貴女は、、、澪様?」

不意に自分の名を呼ばれ、必死に頭を振る。
何者か?聞き覚えのない声だ。
だが、、何やら安らぎを感じる。

「そう、、松方、、澪様。確かにそう思い出しました。
幸です。松方幸です。」

その名に澪の全身が震えた。幸、、松方幸、、
それは、、その名は、、、あの幼子の名だ!
その刹那、松方澪の目が見開かれた。
月と星が遠くにあるのに、辺りは昼間の如く明るく見える。そして若い娘が立ち尽くしている。

「ああ、貴女に会えるなんて!思い出しました!
貴女もこの街灯を見にいらしたのですね。」

街灯?これは何だ?高い柱の上に小さな陽が昇っている。何と明るいものか!? 若い娘が目に涙を溜めている事さえ、はっきりと見える。

娘は駆け寄り、その暖かい手が澪の身体に触れる。光と伝わる温もりが澪を落ち着かせてくれる。それは、まるで幼子が家に帰り着いた時の心持ちの様にさえ思えた。

そして松方澪の頭痛は、その瞬間にピタリと消えた。


Fin





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