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雪風恋情心火華 5
お客を皆んな帰した頃に勢いよく雪が走り込み、少し遅れて柳生宗矩が駆け付けてきた。
降る方の雪も勢いを弱めず、宗矩の目に既に薄っすらと積もった姿を見せている。
「何と、、」
この光景には流石の宗矩も目を見張った。
「旦那ぁ、この有り様でさぁ。」
「鉄斎、物の怪は姿を見せていないのか?」
「へい、さっきからただ降りしきるだけで。」
勇也が宗矩に問いかける。
「旦那、やっぱり雪はここだけなのかい?」
「うむ。この広間に近付くにつれて冷え込んではきた。が、雪は降ってはおらんな。」
「分からねぇや。何でここにだけ、、」
勇也は腕組みをして考え込んでしまう。
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「どうもこうも、、この夏の最中にここまで不条理な事は、物の怪の仕業だろうとしか。」
宗矩に尋ねられた皆川良源も確かには答えられない。
「ふむ。ん?屋台は下げなかったのか。」
お客は帰したが、屋台と佐納流園はまだその場に残っていた。何度か物の怪には出会ってはいるが、流園自体は武芸に秀でた者ではない。この場は帰すのが正しかろう。
「流園さんとお美代ちゃんは屋台も畳まにゃあなりませんで、まだ。」
酒の用意や器の片付けに七輪の火の始末なぞ、いざ移動させるにしても中々に手間が掛かるのが屋台であった。信幸の屋台は中山鉄斎が作った大八車型で、引いて動かせるだけマシではあるが、それでも盛況な分仕舞い支度には掛かる。雪は宗矩を呼びに走っていたので、代わりに美代が一緒に手伝っていたのだ。
「旦那、あっしも微力ながらお力を。」
流園が声を上げるが、宗矩は首を横に振った。
「有り難い。だが、ここまで何も分からぬでは、ただ皆を危険に晒すだけになろう。」
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「そうだなあ、今度ばかりはその通りだぜ。」
勇也もこれには賛成だった。自分もそうだが、所詮は非力な市井の者だ。やり様が分かっていれば手助けも出来るが、こんな場合は居るだけで足を引っ張る事にもなりかねない。
「お雪ちゃんは流園さんと屋台を頼むぜ。今夜はそのまま信幸さんのトコにいるのがいいや。」
宗矩も頷く。
「何があるか分からん。ふたりの方が良かろう。」
「旦那ぁ、俺も美代を連れて今夜は帰らせてもらうぜ。」
「そうだな。大事な嫁御だ。しかと護れよ。」
宗矩が真っ直ぐな目で言うのを、勇也は僅かに眉を動かして受け止った。いつもの威勢の良い返事はない。
美代は、そんな勇也を困った様な顔で見ている。
「勇さん、気になるのは分かるがよぉ、まずはお美代ちゃんの事が大事だぜぇ。」
鉄斎が助け船を出す。勇也という男は仲間も格段に大事なのだ。宗矩や鉄斎に良源も、例え自分より荒事に慣れているとはいえど、ここまで何も分からない中に置いて行くのを気にしない訳がない。
美代にはそれが痛い程に分かる。どうするべきかと考えてしまう。どうすれば勇也の望む様にしてやれるのかと。それが顔に出てしまうから、ふたり合わせて妙な空気が流れる事となる。
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その空気を顔を赤らめた雪が、モジモジと破った。
「あのぅ、、もし良ければ、皆んなで信幸さんのトコに来ませんか?勇さんも何か手助けがいる様なら、すぐ駆け付けられるし、、あたしもぉ、そのぅ、、流園さんとふたり切りはぁ、、」
それはそうだ。確かに嫁入り前の娘である。
知った顔、中々に気心がしれた者だとしても、ふたりで一夜を過ごすというのは恥ずかしいのだ。
ちょっと考えれば分かる事だが、皆それにさえ気が回らずにいた。
「あ!そうだよね。」
「ん?何がだ、美代?」
「馬鹿!祝言も上げてない男女が一軒家で一晩よ。」
「ん?俺たちはずっとそうだったろぅがよ?」
今度は美代が顔を真っ赤にする。
「もう勇也!ウチはかなり普通じゃなかったから!」
そのやり取りに、こんな時でも皆んなにドッと笑いが起きた。
宗矩はそんな勇也と美代を見て、心の余裕が戻った気がした。焦ってはならぬ。この様な江戸の者を犠牲にせぬのが自分の勤めだ。
横に居る鉄斎もニヤニヤ笑いながら頷いている。
そうだ!此度も我らで成してみせる!
そんな想いを強く握り締めるのであった。
つづく