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雪風恋情心火華 1

夏が近付いてきている。少しずつ湿った空気が去っていき、肌を焼く暑さを感じ初めている。
雨が少なくなれば、気持ちも晴れていく。何かを成すならばこういう時が良い。

皆川良源と信幸•紫乃夫婦が口裏を合わせて、もう逃げ場は無いのだからと強く押した。
美代は頬を染めて恥じらっては見せるが、そこはやはり女である。嬉しくない訳が無い。
そうとなれば勇也としては、あたふたとしている内にあれよあれよと事が進んだといった所だった。

その様に今日の日を迎えている。
ここは皆川良源の診療所。その中には多少の人が集まれる広間があった。そこに見知った顔が並ぶ。
留や太助の勇也組の面々と中山鉄斎、そこに雪や佐納流園に加え、あの柳生宗矩と松方澪がいる。

皆が勇也と美代を冷やかす様な笑顔で見つめている。

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「じゃあ、勇さん。形ばかりだが三三九度の盃だ。」

良源の声に紫乃が盃の用意を持ってくる。
潤んだ美代の目に感極まりそうになるが、ガチガチに固まっている勇也を見ると唇に華が咲く。

「勇さん、そんな緊張しないで下さいよ。」

「いやあーよぉ、、こういうのは慣れてねぇんだよ。」

物の怪相手に大立ち回りをしてきた男も、人生の門出であり、ひとりの女の命を背負うケジメには震えるものなのだなと、可愛さを思った。

「慣れてもらう方が宜しくありませんよ。さあ、腹を括
りなさいな。」

紫乃の言葉は優しくもピシャりと勇也の背を叩いた。

「勇也、、」

らしくもねえ、しおらしい声を出しやがって!と思ってはみたが、勇也は美代の顔を見れば口がキッと締まる。この女を命懸けで守っていかにゃあな!そんな力が湧いてくる。

紫乃は自らの婚姻の時を思い出していた。
戦さに負け、何もかも失くした中での約束であった。
この二人にはずっと笑っていてほしい。そう思うと自ずと目に光るものが生まれる。

その肩を信幸の手が包んだ。武士を捨て、刀を捨て、市井の者として屋台のうどん屋を営む夫の手だった。
紫乃はチラとその手を見、また勇也と美代へと眼差しを移した。

「良ぉし!これで勇さんとお美代ちゃんは晴れて夫婦っ
て事だ!皆んな、これからも宜しく頼むぜ!」

皆川良源の景気のいい声が響いた。勇也にこれ以上、堅苦しいのは無理だと思ったのだろう。

「さあ、ここからは気楽に食って呑んでくれ!」

その声に勇也が一息を吐いた。
そんな勇也を見て、美代はゆっくりと笑っている。

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「めでたいな、勇也。」

柳生宗矩が声を掛ける。既に皆いつもの信幸の屋台の様に、それぞれが好きに集まり騒いでいる。
そもそも、それほど豪華なものではないのだ。
肩肘の張った事をしようと思ったのでもない。
いつもの屋台の料理に酒、いつもの身内での御挨拶の様なものだ。

そこに柳生宗矩と松方澪が連れ立って現れたのには、勇也と美代も流石に驚いた。
武家の者であり、幕府の人間がただの市井の者の婚姻に顔を出すとは。しかも些少なりと言いつつも祝儀を持ってくるなどとは、考えてもいなかった。

「いやぁ、何か申し訳ねぇくらいだ。」

「そうか、友のめでたい日だ。身分は無かろう。」

相変わらず言葉少ない男だが、そこがまた信用を持たせる不思議な魅力がある。

「堅苦しいねぇい、旦那は。
美代、めでたいね。勇也、しっかりすんだよ!」

「うむ。そうだな。実にめでたい。」

宗矩の不器用さを澪がサラりと補う。
この二人は上手く出来ている。
俺たちもこうなりたいもんだなあ。
勇也は素直にそう思う。

「澪さん、ありがとう。あたし、、」

美代の目に光が映る。
澪に言われたから、自分は自信を持てた。そう伝えたいのだが、言葉は詰まる。

澪は何も言わず、微笑んで美代の髪を撫でた。
女二人には、これでいいのだろう。
それを見る勇也と宗矩も自然と優しい顔になっていた。

兎にも角にも、勇也と美代はここに晴れて夫婦となったのだ。


つづく

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