桃太郎から浦島太郎へ
外山滋比古氏の本を読んでいると、よく「桃太郎」が登場する。同氏は著書『伝達の整理学』の中で、日本人は「読み書き(習字)」はうまいけれども、「話す・聴く」は苦手だと説いている。それはもっともだと思う。口から出ることばを軽んじて、人が話す内容をじっくり聴き取ることをしない。ともすれば、勝手な解釈を加え、話者が意図しない意思伝達に終わってしまうこともある。要するに、コミュニケーションが下手だ。そこで桃太郎が活躍するらしい。「むかしむかしあるところに……」で始まる昔話を子どもが聴けば、知恵を受け継ぎ、文字以前の知覚を養うことができるという。日本人の苦手な「話す・聴く」は、桃太郎が鍛えてくれるのだ。
昔話といえば桃太郎、桃太郎といえば浦島太郎。実はこのところ、よく浦島のことを考えている。2022年の夏に、私は浦島太郎伝説の地といわれる京都の最北端・京丹後を訪れた。浦島伝説は各地に存在するが、竜宮城をイメージしたという旅館 万助楼へどうしても行ってみたかったのだ。永遠の乙姫さまのようなやさしい女将に迎えられ、サンゴ色をした廊下を抜けると、そこはまさに竜宮城だった。洗練された、心のこもったお料理に舌鼓を打ち、浦島太郎に負けないほど幸せな時間を過ごすことができた。鯛やヒラメの舞い踊りこそ見られなかったものの、布団の中で穏やかな海の波音を聴いていると、まぶたの裏で色とりどりの魚たちがちらちらと舞っているようにも思えた。
京丹後で見た日本海は、どこまでも広かった。10年ほど前に「環日本海・東アジア諸国図」、平たく言えば「日本列島逆さ地図」なるものがあるのを知り、富山県庁へ出向いて手に入れた。これを眺めていると、日本海はわが国の内海のように思えてくる。今年3月にヨーロッパから日本へ帰国する際、経由したイスタンブールからロシア、中国領空を飛んでいる様子を機内の3Dフライトマップで確認していたのだが、さあ朝鮮半島に入ったかと思う間もなく、すでに日本上空にいて驚いた。逆さ地図で見ると、なるほど萩、出雲、鳥取、丹後半島は、とくに大陸に近い。
中でも出雲は海から神様が来たことで有名だが、浦島を追いかけて京丹後市網野町を訪れてみて、まさにこのあたりも大陸と関係が深そうであると実感した。京丹後市に隣接する与謝野町には、弥生時代後期のガラスの釧(腕輪)が出土した大風呂南墳墓群がある。このようなガラス製品は大陸からの渡来品とみられ、出土例はこれ以外に全国で3件しかない(筑前の二塚遺跡甕棺墓、出雲の西谷墳墓群の2号墓、丹後の比丘尼屋敷墳墓)。大風呂南墳墓群の一号墓で1998年に発見されたのは、「青の釧」と呼ばれるライトブルーのものであった。他の3点の出土品は青ではなく、緑だ。この青の釧を実際に見たくて「ふるさとミュージアム丹後(京都府立丹後郷土資料館)」に出かけたが、残念なことに展示されていたのはレプリカだけだった。年に一度しか公開されないという。写真で見るだけでも何とも言えない透明感のある爽やかなブルーに惹かれるが、実物はさぞ美しいのだろう。
丹後半島は関西に住んでいても不便な遠い所である。なかんずく東京からは気が遠くなるほどの遠隔地だ。しかし、弥生時代の墳墓である台上墓や方形周溝墓が数多く発掘されたこの地方は、弥生時代に栄えた文化圏のひとつである。日本海に注ぐ河川を利用して東海、近畿中央部とつながっていた上に、目の前の海を渡って大陸と交流していたことは、出土した無数の鉄剣や銅釧などからも明らかだ。
御伽草子『浦島太郎』の主人公の原型とされる水上浦島子のことは、『日本書紀』や『丹後国風土記』逸文などに記されている。諸説あるものの、そうした記述からも弥生時代後期から古墳時代初期の話だとしても不思議ではない。京丹後を発つ朝、万助楼の目の前に広がる海を眺めながら「なるほど、そうか」と納得した。浦島太郎は海の底の竜宮城ではなく、日本海を隔てた大陸へ行ったのだ。まるでおとぎ話と現実が重なるように思えた。浦島は、実は舟を操って大陸に出かけた海人で、青の釧をはじめ珍しい物品をたくさん持ち帰り、大風呂南墳墓の主である大王に捧げた人々のひとりであったのかもしれない。あるいは大王の命令で大陸に渡ったのだろうか。
「むかしむかしあるところに……」から始まった思考の旅。いろいろ思い巡らしていると、浦島が遠い昔話の登場人物ではなく、未知の領域に出かけていった実在の探検家のような気もしてきた。髪もヒゲも真っ白になってからも「海を渡った人」として子どもたちに人気で、冒険話を聞かせてほしいと、しょっちゅうせがまれる。すると、よしよしと言いながら、家の奥から大切そうに何かを持って出てくる。大陸から持ち帰った思い出の品々がしまってある玉手箱だ。箱を開けながら、浦島は子どもたちに海の向こうで見聞きしたことを話してやる。今まで見たこともないようなものを目にしながら、子どもたちは極楽のような美しい場所を思い浮かべ、目をキラキラさせながら話に聞き入る様子を想像してしまう。
浦島に会いに、また京丹後の浜を訪れたい。
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