海が好きなのに
残念なことに、今は海のない地域に住んでいる。
不思議なもので、内海であれ外海であれ、大海原を目の前にすると必ず胸がすっとして、おおらかな気持ちになる。まるで潮の満ち引きのように、何となく周期的に海が見たくなるのは、そのせいだろう。しかし、海は遠い。数時間かけて車や電車で移動しなければならない。急に海へ行きたくなったら、とりあえずは今までに見た海を思うしかない。
さてと。目をつぶってみる。すると、どこまでも広がる青い海の風景、波の音、潮の香り、砂や水の手触り、新鮮な海の幸の旨みなどが、五感を通じてよみがえる。海のことは、からだ全体で覚えているのだ。時間が経っても変わらない。写真が残っていなくたっていい。簡単にタイムスリップできる。海のすごいところはそこだ。
日本は島国だけあって、旅に出れば行く先々で海に出会う確率は高い。そういえば、本州を囲む日本の海なら、いろいろな町から眺めたことがある。この際だからと、地図で確認しながら、これまでに見た海をノートに書き出してみた。なるほど、思ったよりも多い。
知っている海のリストを見ながら、今度は自分なりにランキングを作ってみようと思った。カテゴリー別に順位をつけたりしてもいいだろう。ところが、考えを巡らせているうちに思い出が渋滞してしまい、収拾がつかなくなってきた。どの海もそれぞれに美しく、思い入れがあり、甲乙つけ難いのだ。
それなら、日本の海に限らなければどうだろうか。アドリア海、地中海、大西洋、南太平洋……。地球規模で考えると、訪れたことのある海は一握りほどだが、やはりそれぞれにそれぞれの良さと思い出があり、どれかひとつだけ、お気に入りの海の風景を選べと言われても、選べない。海は海だ。多分、自分は「どこどこの海」ではなく、シンプルに「海」が好きなのだろう。
しかし、海が好きだと言うわりには、泳いだり、水遊びをしたりする習慣がないので、海の楽しみ方に関しては随分と損をしていると思う。しかも、その気になれば、海の上をモーターボートで走り回ることもできるはずなのに。
その昔、ヤマハマリーナ浜名湖のボート免許教室に通い、旧4級小型船舶操縦士の免許を取得した。旅先でボート遊びができるように、いつかは自分のボートを買えるように、と思いながらも、海とはすっかり縁遠くなった今に至る。宝の持ち腐れとは、まさにこのことだ。
ボート免許教室は、非常に有意義だったのを覚えている。学科講習では、学校などでは決して教わらない海のことを学び、少し物知りになった気がして当時はうれしかった。実技講習ではボートの操縦や扱いだけでなく、海や水との付き合い方も習った。受講生がたった3人だったせいか、お昼は指導教官がご馳走してくださった。その時に出てきた魚介のパスタは、目にも舌にも大変おいしかった。今思えば、川上源一氏の「エピキュリアン料理」のフィロソフィーは、そこにもあった。
余談だが、ヤマハマリーナ浜名湖の近くには、以前、同じくヤマハリゾートが運営する寸座ビラがあった。今は亡き小笠原シェフのフレンチは絶品で、家族でよく通ったものだ。
結局はマリンスポーツよりも食べることに関心が向き、その頃から食いしん坊になってしまった。
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