ナターシャのイースターエッグ
イースター直前の週にバレエのレッスンへ行くと、手作りのイースターエッグが配られる。これは先代の先生の頃からの伝統だ。今年は来ていた生徒の数が少なかったので、普通は1個のところ、2個いただいた。
バレエのレッスンといっても、ここだけの話、体操教室に毛が生えたようなものである。レオタードではなく、スパッツや短パンにTシャツという出で立ちだし、トーシューズに履き替えることもない。そもそもトーシューズなど、高校生の頃に一旦バレエをやめて以来、履いていない。来ている生徒たちも大人になってからバレエを始めた人がほとんどで、発表会などもないから、気楽なものだ。
先代の先生“ユーリ”は、幼い頃に革命から逃れてきたロシア人で、1916年生まれ。2014年頃から娘のナターシャがレッスンを引き継いだが、その翌年に亡くなる1週間前まで、ずっとスタジオに顔を出していた。いつも元気にシャカシャカと歩き回り、体調を崩すことなど滅多になかった。それでも一度だけ、家で転倒・骨折して入院し、不在の時期があった。ユーリにとって入院生活はきっと退屈で、じっとしていられなかったのだろう、看護師さんの言うことを聞かず、勝手に歩き回るので、予定より早くさっさと病院を追い出されてしまったそうだ。
18歳でサーカスのダンサーとしてデビューして以来、ユーリはアクロバットの得意なバレエダンサーとしてベルリンやウィーンで舞台に立つようになったという。スタジオには、筋骨隆々のユーリが片手で逆立ちしている白黒写真が飾ってある。レッスンではもうさすがに飛んだり跳ねたりしてみせることはなかったが、手足の動きや首の傾げ方など、黙ってしてみせてくれるポーズには説得力があった。踊るときは笑顔を絶やさない、指の先まで気を配る、といったように、ひとつひとつの動きに心を込めることの大切さは、言葉なしで伝わってきた。
ユーリといえば、茶目っ気たっぷりの笑顔だ。若い頃はきっと、相当やんちゃだったに違いない。こっちを見ていないようだなと、ちょっぴりサボって脚の力を抜いていたりすると、「まだまだ、脚はそのままそこでキープ!」と背後から檄が飛ぶ。振り向くと、ユーリがニカニカと意地悪そうに笑いながらこちらを見ていた。仕事帰りで疲れていたり、考えごとがあったりで、ムッツリしながらバーのルーティンをこなしていると、ほっぺを指でグリグリしながら「笑って!」と言いにくる。ユーリには嘘をつけない。何でもお見通しだ。ある時、ユーリがニヤニヤしながら寄ってきたかと思うと、ぐっと顔を寄せてきた。わっと思った瞬間、「笑って」と耳打ちされた。相当怖い顔をしていたらしい。自分でもおかしくなって、一瞬のうちに心も体もほぐれてしまった。
大人になってもう一度バレエを始めようと思い立ったとき、教室をいくつも見学して回った。全員レオタード姿で本格的なスタジオもあれば、ピアノの生演奏付きの古風な稽古場、足さばきばかり修行のように繰り返して、生徒たちが殺気立っていたところなど、さまざまだった。見学お断り、という教室もあった。そんな中、決してバレエとはいえないような動きをしながらも、生徒たちが皆、穏やかな表情で思い思いに踊っていたのが、ユーリのスタジオだった。しかも、小さい頃に習っていたスタイルに一番近いと思われたロシアバレエ風だ。「レッスンを見学できますか」と尋ねると、人懐っこい笑顔で「ついでに踊っていきなよ」とユーリ。帰りがけには「またおいでね」とにっこりしながら声をかけられ、ここへ通ってみようという気になった。
ただ、実際にレッスンを受けてみると、バレエ経験者としてはやや物足りない感じで、もう少し本格的な教室のほうがいいなと思ったりもした。しかし、バレエをやめてからかなりのブランクがあったし、自分ももういい年だったので、欲張らないことにした。何よりも、教室の雰囲気が和やかで、行くたびにほっとするのがよかった。仕事の後で「今日はレッスンに行きたくないな」と思う日でも、踊ると逆に疲れが吹っ飛んだ。今思えば、やはりユーリの人柄に惹かれて、ずっと通い続けるようになったのかもしれない。
今の先生、つまりユーリの娘ナターシャは、小柄なお父さんよりもずっと背が高く、驚くほど脚が長くてかっこいい。とはいえ、数年経てばもう定年の年齢で、ついこの間まで「あたしは65になったら、レッスンなんてすっぱりやめてやる!」と言っていたのだが、自分を含め、多くの生徒の反対の声に負けたのだろう、元気なうちは教室を続けることにしたらしい。そもそも自称「不死身のエイリアン」というくらいタフだし、20歳は若く見える。案外、ユーリのように100歳近くまでレッスンを続けてくれるかもしれない。