夏の卒業式
6月が終わると、オーストリアではいよいよ夏休みシーズンが始まる。6月最後の金曜日、まず東部に位置する3州の公立小中高等学校で通知表が配られ、その1週間後に残りの西部6州の学校も2か月ほど夏休みに入る。
学校は秋スタートなので、この時期は卒業シーズンでもある。ギムナジウムなどの後期中等教育機関では、5月から6月初旬あたりにかけて修了試験が行われ、その合格者には大学入学資格が与えられる。筆記・口述試験、小論文など、かなり大変らしい。今年は友人のお嬢さんがその難しい試験を受け、優秀な成績で見事に合格。日本でいうところの卒業式に招かれたので、保護者気分で出かけた。
セレモニーは、ちょうど夏至の日の夕方5時から校庭で行われた。この時間なら、仕事をしている保護者にとってもありがたい。会社帰りのお父さんやお母さんをはじめ、おじいちゃん、おばあちゃん、兄弟姉妹など、一家で来ているような人々を多く見かけた。日本のように下級生や来賓などはおらず、あくまで卒業生とその家族・友人だけの集まりだ。
日本であれば、まず開会のことばがあり、国歌・校歌斉唱と続くところだろうが、この日のオープニングはエド・シーランの「I See Fire」だった。卒業生全員がステージに上がって楽しそうに歌い、初っぱなからやんや、やんやの大喝采。ほかにも「We Are The World」や「My Way」などを披露してくれた。中には歌のうまい子が何人かいて、ソロで美声を張り上げていたが、壇上の子どもたちが一人残らずうれしそうに、のびのびと歌っているのが印象的だった。「晴れの舞台」とはこういうことだ。
主役の卒業生たちは思い思いの服装で、Tシャツにジーパン姿の子もいれば、ワイシャツにスラックスという少しあらたまった装いの子もいた。暑い日だったので、キャミソールドレスを着ている女の子も多かった。皆、体格がよく、きちんとメイクをしているせいか、ひどく大人びて見える。秋から大学生なのだから、まあそんなところだろう。
子どもたちがませている分、教員陣が妙に若く見えた。校長は40代前半だというし、ラテン語の先生などは新卒ではないかと思えるほどだ。担任として生徒から人気があったらしく、子どもたちからたくさんプレゼントをもらっていた。こんな先生たちに教われば、きっと学校も楽しいだろう。うらやましい。もう一人の担任も、生徒に混じっていれば見分けがつかない。最近の子どもはしっかりして見えるが、ちょっとこの子は若年寄り風だなと思ったら、先生だった。
校長や学級担任、学級委員によるスピーチもウィットに富み、涙と笑いにあふれていた。互いに支え合い、皆で一緒にようやくこの大きな節目にたどり着くことができたという喜びが、自分のような部外者にもひしひしと伝わってきた。ちょうど新型コロナウイルス感染症流行の影響をもろに受けた世代なので、大人が想像する以上に何度も大変な思いをしてきたことだろう。
さて、いよいよ証書の授与。一人ひとり名前を呼ばれて壇上に上がり、担任と校長から証書類を受け取る。卒業試験の成績が「秀」または「優」だった場合には、ひと言その旨が添えられる。また、小論文が全国コンテストで入賞した、1年生からずっとオール5だった、などの紹介もあったが、それ以外の生徒にも「めでたく修了」「首尾よく修了」といった賞賛の言葉がかけられ、子どもたちはそれぞれが満足し、誇らしげにしている。とにかく全員の表情がすがすがしい。実にいい光景だった。学校教育の場で順位づけを疑問視する声が高まる昨今、自分の位置を確かめる意味でも、また真の「多様性」を実現するためにも、やはりこうした評価とその公表は、ある程度大事だろう。
証書が全員に行き渡ると、保護者代表が簡単に挨拶をし、セレモニーは1時間半ほどで終わった。政治家や役人など、知らないおじさんたちの長たらしい祝辞などもなく、あとは学校側が用意した軽食とスパークリングワインを片手に歓談、そしてお開きとなった。卒業生たちは、そのままこれから先生たちと食事に出かけるという。外はまだ明るい。一年で最も昼の時間が長いこの日、いつまでもクラスメートたちと一緒にいたい、このまま日が沈んでほしくないと、誰もが思っていたに違いない。