見出し画像

Elephants

  窓を開けて夜の境目を越えると、そこにはいつも象がいた。松の幹のようなゴツゴツした温かな皮膚に、乗ったりして遊んだ。部屋の奥にはいつも水墨の障子があって、これが蜃気楼のように何枚も立ちはだかっていた。「この先には何があるの?」「君には尋ねる必要もないようなところだよ。」象は眩しそうに目を細めて言った。
   
  ある日、いつものように僕が象と遊んでいると、突然ジリリリとけたたましい音が響いて象の上に巨大な円盤の時計が落ちてきた。象はぺしゃんこになった。僕は泣いた。それから日が経つうちに象はどんどん小さくなっていった。背中に綻びのような小さな細い穴ができだした。僕は日に日に元気を失っていく象を悲しく思った。背中の穴にありったけの小遣いを入れてやると象は喜んだ。チリンチリンと象の底に硬貨が当たる音が心地よく響いた。それから 、穴が銅や合金やらの塊ですっかり塞がってしまうと、それらがキラキラ輝きだしてにゅっと鎌首をもたげてきたと思うと、瞬く間にぺかぺか光る銀色のレバーになった。押したり引いたりすると、右足を上げたり、左足を下げたり、とにかくおどけた動きをして見せるのだった 。僕は楽しかった。毎日を象と一緒に過ごした。しかし僕と象の遊ぶ時間はいたずらにだんだん短くなっていった。     
  ある日、僕がいつものように象と遊んでいるとバチーンと間延びした音がして、下を見ると一本のネジが落ちていた。穴のあいた象は悲しそうな顔をして頭を左右に振った。それで僕は泣く泣く象と最後のお別れをした。

  ある日、僕がなかなか寝つけないで壁に掛けたポスターなどを眺めていると、急にまた象に会いたくなった。僕はランプを消し、窓を開けて夜の境目を越えた。象はまだいた。かなり錆びくさくなっていて、至るところにネジなどが飛び出ていたが、前と同じ場所に立っていた。白い時間が流れて、ぬるい風が吹いて、急にぞわっと胸の底を冷たいものが撫でたのが分かった。はっとした。急に象が、茶色くくすんだ下らない藁人形のように見えた。障子の方を向くと、パジャマの裾がパタパタと乾いた音を立てた。象に飛び乗ってレバーを前後に動かした。象はやがてギイと音を上げて部屋の奥へ1歩ずつ、1歩ずつ足を運びはじめた。僕はゆっくりなおもちゃは嫌いだったので、体を居心地悪そうにくねらせた。象はだんだん速くなり、やがて一つ目の障子をここぞと突き破った。僕は歓声とともに腕をふり上げた。ガッタンゴットンと、象は今にも壊れそうな撥条の人形のように両腕を激しくガタガタ言わせて次々に障子を突き破った。そうしていよいよ最後の障子という前で、象は重たい音を立てて自力で止まった。象は何かを懸命に言おうとしていたが、あろうことか、彼には喉がなかった。僕は右足を上げて象を降りて、最後の障子に向かった。戸を引くと、物凄い吹雪が顔を打って身を囲んだ。尖った埃が吹きすさぶ、灰色の街があった。窓から沢山の人が身を乗り出して、こちらに向かって何か叫んでいる。僕は泣きそうだった。すがるように象を振り返ると、象はにやにや笑って、そして身体が風船のように膨れて巨大になっていった。突然パアンと音がして、象が真っ二つに裂けた。中から、夥しい量の金銀のコイン、そしてその後からドロドロした銀色の液体が噴き出し、僕を覆った 。激しく金属の軋む音が、ずっと響きわたっていた。

   私がここに書いたいろいろの有象無象は全て、どこかの夢物語や小さい頃に聞かされたおとぎ話のように感じるかもしれない。しかし、今もなおその時間が小さな子供部屋の窓の外に流れているのかはそれ程重要では無い。とかく私にはこうして、灰色の埃の吹き荒ぶ街で、同じ街に住む君たちのために私の体験を記すことしか為す術がないのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?