誰の目にも留まらない映像が溜まっていった。良い物とは何だろうか。どれだけ撮っても朧気なイメージは細部を欠いたままだった。次第に製作の意味ばかりを考える様になった。彼等の、何より自らの言葉に見え隠れする欺瞞に気付き、苛立っては失望を繰り返した。そして到頭、活動は再構成されること無く放擲される。ただの思い付きから何もかも無視して突っ走った七年。何も残らなかった過去を図ろうとすると虚脱感に襲われて身が竦んだ。こうした生き方で生じた綻びは遂に収集の付かない所まで来てしまったと愕然とし
ある時全てが嫌になり、機材と車を処分した金で旅に出た。印度、アフリカ、欧州を経て一年に渡る放浪。流れる風景に目を遣り、知らない街をひたすら歩き続けた。もう一度仕事を撮ってみようと思ったのは、旅の終わりに撮り溜めた映像を偶然見返した事が切っ掛けだった。良い物を作りたい、天職に辿り着きたいという作り手の、つまり過去の自分の情熱に不意に共鳴してしまったのだ。だが、過去の追体験は幻滅に終わる。最後に蒙古を訪ねて知ったのは、旅はやはりどこかで終わってしまっていたという事。そして、それで
世界中の職場を周って仕事選びの助言を集めていけば何か良い物が作れるのではないか。それは単なる突飛な思い付きではあったが、何をやっても熱くなれず悶々とした日々の新たな企てとなっていった。何もかも未経験のまま印度へ飛び込んだ日から七年。見知らぬ人に声を掛け、仕事を撮らせて貰い、心通う束の間の会話を味わってきた。ここにあるのは旅をしながら撮った習作とその記憶の断片だ。職場に入る事を許され、カメラ越しに彼等の眼差しを見る度に静かな熱狂はやって来た。それは、この先に天職があるのだと自ら
煤で燻んだカーテンの隙間から白い光が差していた。古い精工の振り子時計がゆっくりと朝を告げる。七十年に及ぶ営業の記録はまた一日の更新を向かえようとしていた。歪んだ窓枠。傾いたカウンター。ひびの入った丼ぶり。この店ではあらゆる物が役目を果たし切るまで使用に耐え続けている。それはここで暮らしてきた男についても同じ事が言えそうだった。一歩一歩確かめる様にして階段を降りて来た男は、息を付いてから大きな寸胴を焜炉に掛けた。暫くして店内にスープの香りが漂い始める。男は三杯の水に向かって手を
「どんな仕事でも我慢して続ければいつか必ず報われる」こう言われても若い世代はぴんと来ないかもしれない。目の前の仕事に耐えて頑張るのが当たり前だったと言う女。違和感の無い働き方について意見を求めたが質問の趣旨が伝わらない。「どう答えたら良いか教えてよ」と恥ずかしそうに笑っていた。それから暫くして女の店は地上げに遭った。取り壊された煎餅屋の跡地には今五階建てのマンションが立っている。ここで六十年の間煎餅を焼いてきた女の姿は既に誰かの記憶の断片となった。どんな最後であれ「いつか報わ
色の境界は直ぐに曖昧になった。パレットで混ざり合った絵具は新しい色へと生まれ変わっていく。どうしても描かなければならない。男の絵は焦燥と緊張の表出その物だったはずだ。大学を卒業して幾つかの職場を転々とする間も絵を描き続け、描く事はやがて男の言語となっていく。時を経てかつての学舎は男のアトリエになっていた。当時の焦りと張り詰めた心は別の何物かと混ざり合い、曖昧になって、その度に姿を変えて来ただろう。男は今どんな色で描くのだろう。放課後の美術室。チャイムが鳴った。廊下から下校の子
カメラを構えた男は無邪気に笑っていた。男は映画の専門学校を中退した後、建設会社の記録部に紹介を貰った事で映像キャリアの幕を開けた。記録映画の助監督として場数を踏み、後に自らも監督として製作を試みる。テレビ局時代はベルリンの壁崩壊の報道からマレーシアに展開する日本企業、北海道で閉山する炭鉱など国内外で様々な映像を撮ってきた。広告に携わっていた頃は映像ディレクターと名乗る事に浮かれていたと言う。そして第一線を離れた今、男にはどうしても撮らなければならない物は無くなった。否、カメラ
憧れの娯楽業界に職を得た事がある。その憧れと現実のギャップに悩んで結局直ぐに辞めてしまったが、次こそ好きな事を仕事にしようと決めて始めた日本語講師も長くは続かなかった。テーマパークで遊ぶのと働くのはそもそも全く別の話であり、学生と講師に求められる適性や仕事は全く異なるという至極当然の事実を見落としていた。保育士を辞めた女は服屋の仕事が楽しいと語っていた。日本語講師になった当初も同じ様に感じていたかもしれない。その楽しさとは、確か憧れに裏切られた事の反動による物ではなかったか。
男はある有名な歌手グループのバックダンサーを務めていた。ダンスで暮らしていけるのは運が良いと言う。巡り合わせが良かったと。それは男の言う通りなのだろう。世の中には運が無ければ叶わない仕事は沢山あるのかもしれない。運。だから努力して叶う物ではないと男は語った。無論、ただ待つだけの日々に運や巡り合わせと呼べる程の物はやって来ないだろう。必死に藻掻いて足掻いた者だけが手に出来る何かがあるはずだ。その一つが運を運と素直に認めることの出来るある種の諦観ではないか。その諦観の獲得は、挫折
「どんな映像を撮っているのですか」事務所の前で男に話し掛けられた。出会いが向こうからやって来たのは初めての事だったかもしれない。語る所に因ると男は大手のホテルを定年まで勤めた後、全てを整理して秋田の山へと隠居する。ところが二年ほど経つ頃には退屈で落ち着かなくなり、結局東京へ戻って第二のキャリアを模索した。悩んだ末に選んだのは警備員だった。やがてかつての同僚が一人また一人と加わっていき、男は意図せず小さな会社の社長になっていた。心を開いて話し掛けてみる事。一歩前へ踏み出してみる
なぜ遠くまで出掛けるのか。特別な理由は無い。ただ何と無く知らない場所へ、それもどこか遠くへ行ってみたいと思う。旅はそれ自体が楽しいという事もあるが、ボクシングのジャブの様に次の動きを促したり偶発的な状況の進展を図るための手頃な挑戦の一つであり続けた。知らない街から知らない街へ。連続した移動で生じる摩擦に依って思考の閊えが取れたり、旅先で出会う人や出来事が思い掛けず日常に影響を及ぼしたりする。放たれたジャブが決定的な打開策になることはあまり無く、逆に予期せぬダメージを負うことな
夏の初めの夕方らしい柔らかな風が吹いていた。給油を待つ車がスタンドに長い列を作っている。男の明るい呼び声がしてその内の一台が中へと引かれていった。ある日スタンドにやって来た娘が家にいる時よりも父が楽しそうにしているのを見て不思議がったらしい。行列の中にも男の顔がふと見たくなって寄った客がいたのではなかったか。社会に必要とされる仕事。やり甲斐と喜び。無為の時間を過ごした男だからこその感覚かもしれない。出来ることをやっていったら次が見えてくる。信じて良いだろうか。いつの間にか辺り
市井の人が採れる選択肢は着実に増えている。そう感じるのは、飛行機に乗って雲の上を行ったり異国の職場に何気無くカメラを持ち込んだ際の興奮にちょっとした違和感が混じった時だ。果たしてこの様な事がこうも簡単に叶ってしまう物だろうかと。やった者勝ちという言い回しがある。その観点で言えば、確かに現代は自分のやりたい事をやって某かの勝利を収めるのが容易な時代なのかもしれない。だが好きな事を生業にして暮らしていると言う人には不思議な程出会わない。これからも選択肢は増えていくのかもしれないが
演舞が終わると女は客席に向かって微笑んだ。それは御捻りの合図だった。酒に酔った男達から差し出された紙幣。それを胸か尻に挟ませて女は次のテーブルへと移っていく。存在確認。女の言葉が思い出された。生きている感じがするというのは本当かもしれない。ポールに獅噛み付いて逆さになり、ヒールを打って会場の視線を攫う。女は恍惚とした表情を浮かべて宙を舞っていた。ステージの控え室に戻った女はその日三度目の出番を待つ。煙草を吸ってスマホを眺める顔には焦りも無い代わりに充実の色も無かった。辿り着い
客は未だ一人もいない様だった。駅から続く細い小さな商店街。深夜に立ち寄れる場所は殆ど無い。眠れない夜の居場所を求めて、道行く人はその店の中を覗いていくのが常だった。この日、男はカウンターの内側で一人煙草を吹かしていた。今日こそドアを開けようか。男はどんな顔をするだろう。傘を差して足早に行く人も店の前ではみな歩を緩めて躊躇った。一瞬の逡巡。高鳴る鼓動。結局、足は止まらない。今日もまた店を通り過ぎてしまった。何人かは後ろ髪を引かれる様に店を振り返ったが、点滅する信号に急かされて道
その夜、中々寝付けず宿の外へ出た。深夜二時。人の消えた大通りに灯りの点いた建物は殆ど無い。昼の喧騒から夜の静寂へ。遅い客を乗せたタクシーが坂を下っていった。朱色の街灯。長く延びた影を辿ると看板が見えてくる。曰く、その古いマンションの地下にはバーやゲームセンターがあるという。深夜に行き場を失った者が集うフロア。階段を降りると一番手前にあるのが本屋だった。店内にはそれでも数人の客がいた。そして客より多くの猫がいた。本を目一杯に詰め込まれた棚。狭い通路。迷路に入り込んだ様な気がした