「あなた方は韓国のことをどう考えていらっしゃるの?」
尾山台の読書会に参加した。
この読書会は尾山台の地域住民のコミュニティカフェで定期的に開催されており、参加者のほとんどが尾山台の人で、すでに何度も参加している方たちばかりだった。私が会場についたころにはそういった参加者がすでに席についていた。インスタの投稿でこの会の案内を見て応募をした私は完全に外様だった。
その「古参」ともいえる参加者の一人に、77歳のおばあさんがいた。普段なかなか話すことのない世代なので、少しひよった。ほかの参加者も続々と集まり、会が始まった。私はそのおばあさんと同じグループになった。自己紹介が終わり、お互いの本を紹介する時間になった。そのおばあさんはわりと自分の話を長めにする人だった。彼女は紹介する本に古典の全集を持ってきていて、中学で古典・漢文教育が選択制になることに対してどう思うか、という質問を投げかけた。古典の原文は、訳文と比べて余計な説明文がなく、学ぶべき表現方法だというのが彼女の意見だった。それには私含め多くの人が賛同した。古典漢文教育の流れで、昨今の小学生の教育事情に話がかわり、最近は教科書が分厚く、冊数も増えたため荷物が重く、ランドセルを軽量化、またはリュックに代替する案がでていることが話題になった。おばあさんは、ランドセルがリュックになるのは納得がいかない、ランドセルは革張りで重さがあるものに価値があるのである、現にドイツではもっと大きなカバンで大きな教科書を持っているが、問題がないのだから日本もやっていけるはず、と言った。この考えには賛同できない、という空気がグループ内で起こったが、それでもそれがこの人の意見だ、と受け止めながら、会は続いた。
話は変わり、同じグループのある人が韓国の小説を紹介した。その本は変わった構成で、内容も興味深いものだったから、グループ一同、面白そうだと盛り上がった。そこで、あのおばあさんが投げかけた。
「あなた方は、韓国のことをどう考えていらっしゃるの?」
冷や水を浴びたように、場が一瞬で冷え切ったように感じた。私は「この場で韓国人ヘイトを聞くのは嫌だ」と、身をこわばらせた。それはおそらく、ほかの人もそうだったのだろう。さっきまでの和気あいあいとした雰囲気が一転し、緊張感が走った。おばあさんは続けた。
「私、生まれた時から社会が偏見を持っていたの。1910年に日韓併合するのだけど、学校では教えてくれなくて、韓国人がどんな生活しているか何にも知らないの。でも、ヨン様ってていうのが出てきて、それには興味なかったのだけど、そこから韓国ドラマが流行して、それで韓国の文化っていうのが知られるようになったでしょ?私からしたら最近そうやって韓国のことを知れるようになってきたの。いま、私、韓国ドラマが大好きなのよ。役者も上手いし、芸術も素晴らしいと思うわ。だからね、今は在日の人がどんな生活をしてきたってことが1番知りたいの。だって、在日の人ってすごく差別を受けてこられたでしょう?それをどうやって考えて生活してこられたのか知りたいの。」
全然ヘイトじゃない、むしろ、この人は自分が何にも知らないということを知っている。
2000年代に冬ソナが流行る前には韓国に全く触れられなかったという社会のあり方に気づいていて、その社会が生んだ偏見をそのまま受容するのではなく、自分は何にも知らないということに視点を置き、その上で、知りたいと思って、今こうして話題に上げている。それは、ヘイトの対極にある、理解の姿勢だった。
「私の母はね、関東大震災のとき3歳だったから、全部知っているのだけど、朝鮮人が井戸に毒を入れたって信じていたのよ。私は違うって知っていたから、何回も教えたのだけど、亡くなる直前までずっと信じていたの。そういう人もいるのよね。」
日本人に根拠なきヘイトがあることも認めている。差別に対して、正しい知識と姿勢をお持ちだった。私は彼女に、在日3世の葛藤が描かれた「ある男」という小説を薦めた。
私はどうだろう。この人が高齢女性だから、自分の話をたくさんする人だから、ランドセルに対して時代錯誤の考えを持っていたから、それらの理由から、この人が韓国の話をするときはヘイトになるだろうと決めつけた。その人の属性や一部の言動からその人の考えはこうだろうと決めつけ、意見に耳をふさごうとした。これこそ、差別なのではないか。私の方が、差別の姿勢をとっていたのではないか。そう思った。差別感情や偏見の種は、自分も潜在的に持っている。色んな事を知って、無くしたと思っていても、急に日常の中で芽を出す。出したことに気づきにくい。だから、心に大きな根を張るまえに、芽を出したときにきちんと抜いておかないといけない。今日はその絶好の機会だと思った。こう思えるきっかけをつくるには、今日のような普段会わない人と話す場に行くことが大事だと思った。
私が「ある男」を薦めたタイミングで、会は終わった。参加者の方々が紹介した本を机に並べて写真を撮った。もう一つのグループで紹介されていた本をみて、これも面白そうですねと話す時間はとても心地よかった。
会場だったカフェを出て尾山台駅に向かう。カフェは駅の改札口から続く商店街の一角にあって、石畳の道が駅までまっすぐ続いている。晴れた日曜日の夕暮れ。お店から出てくる人、これから入る人、色んな人が行き交うその道で、私は大きく息を吸った。きっとまた、この町に来るだろう。そう思った。