さみしさ
何にも替えが効かないものをなくして、欠けた自分を引き摺って歩いている。
欠けたものを埋めるものを探している。でも、全く同じ形のピースはない。
ピースに穴を合わせるほうがいい、と宇多田ヒカルが言っていたけど、それはとても難しい。
欠けたものを埋めるものとして人を探してはいけない、目の前の人を、穴にあうかどうかで見てはいけない、その人自身を見ることにはならない、それはその人を傷つける。
わかっているのに、この人なら寄りかかってもいいかもしれない、と考える狡猾な自分がいる。
そうやって、欠けていることのさみしさで、人に頼ってしまうことが怖い、そういう自分が嫌だ。
最近、人を誘って断られることが多い。自分を開示してもわかってもらえないこと、自分を出して叩かれることがある。自分から何かして傷つくことの痛みが、日に日に強くなっている気がする。
自分から行動しても叩かれる、それが何度も続く、その痛みに耐えられなくなっている。
待っていても来ない返事、鳴らない携帯、こない通知、つかない既読。
朝起きると、血眼で通知を確認する自分がいる。誰からの、なんの連絡を待っているのだろう。
とにかく誰かから連絡が来てほしい、と思う。
ずっと、さみしい。
このさみしさを何とかするすべを知りたい。