38歳のときのビルマ旅行 と     44歳のときのミャンマー旅行

「#わたしの旅行記」で高野山への1泊の旅を綴ったばかりなのだが、一番思い出に残っている旅行といえば、むかし行ったビルマ旅行。
タイ・マレーシア・シンガポール・香港・台湾へも行ったが、ビルマが一番印象に残っている。

ご存じだと思うが、ビルマは現在のミャンマー。
日本でまだビルマと呼ばれているころに母から薦められ、ビルマ方面戦没者を慰霊するツアーに参加した。

ビルマ戦没者の妻だった母は、完全に慰霊目的だっただろう。手を合わせながら涙したことだろう。
でも戦争を知らない私は、そして我が家の仏壇のなかの兵隊姿の写真の人は私の父ではないし、慰霊の旅というよりビルマという知らない国を旅する観光旅行だった。

印象的なことを列記すると……

その地に降り立ったとたん、強烈な香辛料の匂いがした。

男性も穿く長いスカートのような民族衣装(ロンジー)が印象的だった。

母はタイもビルマも料理が口に合わなかったそうだが、私は細長い外米の上に油料理をいっぱい乗せてスプーンで食べるメニューは、おいしかった。
米粉の麺で作ったモヒンガ―というのも好きだった。

戸が開け放たれた小さな店で、河から吹く風を受けながら食べたサモサというのも好きな味だった。

男性もお酒を飲まない人が多い、ましてや店で女性がビールを飲むということはほとんど無いと言われたが、食事をするときは必ずビールを注文してくれた。ツアー主催者&関係者が私のお酒好きを知っていたのだろう。
日本のビールが好きな日本人は顔を顰めるかもしれないが、私はタイで飲んだビールもビルマで飲んだビールも気に入った。

驚いたのは、店で飲んだコーヒー。ビルマはコーヒーより紅茶のほうがおいしいらしい。スペシャルコーヒーというのをツアー仲間の一人がご馳走してくれたが、インスタントのネスカフェだった。
スペシャルなので値はビルマのコーヒーより高い。それで、カップに並々と注いで下のお皿に溢れるのがサービスらしい。最初それがわからなかった私は、行儀悪いなと内心思いながら、お皿のコーヒーを捨てたが、それは捨ててはいけなかった。

異国で飲んだインスタントのネスカフェは特別な味がした。

香辛料を含んだ風の匂い。乾いた土の匂い。運河の匂い。
そして愉しい旅の匂いがした。

1本の大きな土の道が印象的。
その大きな道に、小さな馬が引く馬車が通る。
豚も歩いている。犬も鶏も自由に歩いている。

有名なパゴダを裸足で歩いた。
パゴダから夕陽を眺めた。

荷台に沢山の人間を乗せたトラックがジェットコースターのように細い坂道を走り降りる。手を伸ばせば届きそうな大きな星がきれいだった。
馬車にも乗ったが、あまりの安さに支払う金額を一桁間違えた。

帰りの飛行機のなかで食した七面鳥が、おいしすぎて忘れられない。
シャンパンも赤ワインも美味しかった。

私は金蝶々というステキな名前を付けていただいた。


38歳のときに出かけたビルマ旅行は、仕事が忙しい最中で母が荷造りしてくれた。トランクの隅から出てきた梅酒をツアー仲間と一緒に飲んだら、皆さん「おいしい」と言って喜んだ。
44歳のときに出かけたミャンマー旅行は、肺がんで亡くなった母を偲ぶ慰霊旅だった。哀しい旅だった。寂しい旅だった。
でも、やはり料理は美味しくビールは旨かった。

そして、やはり瘦せた白いウシが田畑で懸命に働いていて、長い顔した短毛のイヌは痩せているのにガツガツ食べないで上品だった。


<本deコミュニケーション>で綴ったように思うが……ミャンマーの旅行記を書いた椎名誠さんの著書にサインして頂いている間、牛や犬の話をしたら、椎名さんは「そうだね、うん、そうだね」と優しい相槌を打ってくれた。

動物の絵を描きたいので写真を撮りにまた行きたいが、超節約生活の70代の私にミャンマー旅行のチャンスはもうないだろう。
私個人の家計事情だけではなく、ミャンマーはクーデター問題で旅行はできないようである。慰霊ツアーを主催している成福院も、この数年は実施していない。


#忘れられない旅

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