「清掃」業務体験43日
<ヨーコお婆の喜怒哀楽⑨>
11月に<本deコミュニケーション>で、10月最後の週から清掃業務のパート勤務を始めたという話をした。
石川県に移住する前は大阪で40年以上、執筆と編集の自営仕事をしていたが、移住後は無職・無収入(年金以外は)なので小遣い稼ぎをしたくてアルバイトに応募したが立て続けに不採用だったので、70歳を過ぎたら雇ってもらえないんだと思い、働くのは諦めた。
ところが今秋、久しぶりに会った知人が清掃のパート勤務を紹介してくれた。1日4時間位を週2〜3日という希望は却下され週5になったので一瞬思案したが、76歳の私を雇ってくださるということが有り難く、元気に働けるのであれば何歳になっても働かせてくださるというのも有り難く、通勤事情が心配だったが、とりあえず働かせていただくことにした。
まず、76歳の私を採用してくださるということに「驚き」と「喜び」からスタートした……のだが、やはり心配した通り北陸の気象は雨が多い。雨のなかを40分歩いて駅前のバス停へ→30分バスに乗って出勤。4時間弱の業務はかなり疲れる(業務内容を聞いた知人は50歳でも無理と言った)。腰も痛い。なのに帰りもバスを降りたあとまた40分歩かなければならない。
車を運転しない私は通勤に難あり週2〜3日を希望したわけだが、やはり毎週1〜3日は雨のなかを歩くことになった。12月の3週目は月曜〜木曜まで雨続き。
勿論それは想定内だった。でも歩くことが好きな私は頑張れると思った。
72歳のときに往復2時間歩くテニススクールに入会した。73歳のときも片道40〜50分歩くのが苦痛ではなかった。
72〜73歳と76歳では大きな違いがあるということがわかった。
そもそも無職で自由だった日々は、よほどの用がない限り雨の日は外へ出なかったしフィットネスクラブも駅前の教室も雨の日は行かなかった(降らない日に自転車を利用)。
だから具体的に昨今の自分の体力がよくわからなかったのだが……軽快に歩けなくなっている。2020年に発症した重症のメマイのあとは毎日フラツキもあって長い距離を歩くのは辛い。しかも雨天で連日となると……。
喜びは「苦痛」に変わった。
そして元気に歩けない自分が「情けない」。長く働かせていただこうと決意したのに2か月でギブアップした自分に「ガッカリ」「自己嫌悪」。
そういうわけで、上司に辞めたい旨を12月初めにお話しお願いし、年末まで続けてほしいと言われて一旦了解したのに、家のなかで立ち上がれなくなり動けなくなって……12月26日を最後にパート勤務体験は終了した。
お金を支払ってスポーツしていた日々から、山を歩かなければならない動かなければならないというポツンと一軒家の元気お婆のように、生活に必需な運動=私の場合、体を使う勤務をして収入を得るという一石二鳥の運動習慣に変えたのだが、計画倒れ。
先週の金曜も雨だったが、前日の木曜で業務は終了したので早朝に出勤しなくてもいい。「嬉しい」「楽しい」「幸せ」。
会社にご迷惑をおかけしたが良い体験をした。もう元気すぎる私ではないということも自覚できた。「年相応」よりもう少し無理はしたいが、体を労わって暮らそうと考えた。
追伸……パート勤務中は本を買いに行けなかった(古本保存入力も1冊だけ)。北陸中日新聞から「くらしの作文」掲載の図書券が届いた。近々、雨が降らない日に自転車で書店へ出かけ<本deコミュニケーション>を綴りたい。
1月2月は隣町の会館で観たい旧い名画が上映される。<シネマでTOLK>も綴りたい。