外人観光客が激増、今夏は涼しくない高野山へ。
7月下旬の週末、石川県加賀地方の自宅から北陸新幹線とサンダーバードに乗って、大阪へ。
大阪の難波駅から特急こうや号で高野山へ(和歌山県)。
石川県の知人の一人は高野山を知らなかった。関西人・近畿の人間は高野山を知らない人はいないと思うが(そうでもない?)、北陸の人は白山や立山は当然知っていても高野山は知らない人もいる……ということを知った。
ご近所の方に、高野山に行ってきたので胡麻豆腐を買ってきましたと言って渡したが、その方も高野山と胡麻豆腐は知らない?
余談になるが……私の母と兄は昔、高野山の成福院が主催したビルマ戦没者慰霊ツアーに参加した。その母から薦められ私も2回参加した。
ちょっと複雑な事情なのだが、姉と兄達の父親はビルマで戦死。母と毎年、ビルマ寺と呼ばれているその寺院で執り行われる慰霊祭に参席していたが、「娘です」という紹介に、怪訝な顔をされた。
夫はビルマで戦死したという話のあとで戦後生まれの私を紹介。夫や兄または戦友を失くした人たちは、私の見た目年齢から想像して内心「えっ?」と思ったのだろう。
でも、戦後はさまざまな事情を抱えた家族が多い。父親の違う末娘と戦死者の慰霊法要に参加しても特別異常なことではない。母親が私の父の名ではなく戦死者の元夫の姓を名乗っていても不思議ではない(私の父と離婚して初婚の姓に戻ったのか私の父とは結婚していないのか、私は知らない)。
でも、怪訝な顔をされるのがイヤで、もう慰霊祭には行きたくないと母に言ったことがある。
その母が亡くなった後は、遺児である長兄が毎年一人で参っていた。
終戦の年(昭和20年)6歳頃だった長兄は、父親の顔を覚えていないと言っているが、ビルマで戦死という事実を強く意識しているのだろう。長男という意識も強く母に代わって毎年参席しようという気持ちになったのだろう。
そんな兄が、3年前の7月、突然、一緒に行こうと私を誘ってくれた。
大阪で失業して石川県の県営住宅で超節約生活をしている私なので、費用はすべて兄が支払ってくれる。
兄と一緒に高野山へ出かけることになって今夏は3年目。
自費で大阪へ出かけるときは全行程鈍行列車や安価な高速バスを利用しているが、一昨年と昨年の夏はサンダーバードを利用。そして今夏は北陸新幹線と全席指定になったサンダーバードを利用。
土〜日曜だし新幹線の混み具合がわからないから、往復指定席を購入した。
鈍行だと小松~大阪は5時間かかるが、新幹線とサンダーバードだと乗り換え時間を入れても2時間半くらい。
駅前のコンビニで買った遅朝食のパンを食べてコーヒーを飲み、ちょっとぼんやり景色を眺め、シートの後ろに有るタウン情報誌に目を通していたら、目的地に到着。文庫本を2冊も持参したのに全く読書していない。
乗車時間は僅かという印象。アッという間だった。
高野山での宿泊は、わが家は昔も今も成福院。大法要前夜の土曜日、二の膳付き精進料理は今夏も大変おいしかった。
一昨年は寒すぎて辛かったので、翌年は寒さ対策の上着とショールを持参したが、今回驚いたのは高野山もモーレツに暑い。エアコンは設置されていなくて、食事中も前夜祭も扇子を使っている人が多かった。
そしてもう一つ驚いたのは、海外の人が多い。慰霊参加というより観光客なのだろう。
高野山を知らない日本人は多いようだが、弘法大師のお山に行きたいと希望する外人さんが激増しているようである。
これまで避暑地だった高野山。猛烈に暑いと言っても、奥の院の杉木立を歩くと、ちょっと涼しい。お大師さまの御廟に近づき心が凛とする。兄も私も巨木老木に手を当て、パワーをいただく。
嫂がパーキンソン病で自宅療養。老々介護で疲れきっている兄は父親の慰霊というより自分の心と体を休ませ高野山からパワーを受けるため、毎年出かけているのではないだろうか。
出かけても自宅から始終携帯電話が鳴る兄の疲労・多忙が心配。従姉は兄の年齢を考え、自宅介護はムリ……と説得している。
慰霊大法要(※)に参席という旅なので、そもそも愉快なレジャーではないのだが、私は毎年、こうや号での車内弁当とビールの時間が超嬉しい。
<「いただきます」「ごちそうさま」>というレギュラータイトルのブログでも綴ったのだが、景色を眺めながら至福の時間という意味では、夜の宴会より空腹の遅い昼食である車内飲食が凄く美味しい。幸せ。
私は昔も今も、車中での飲食時間が大好きなのである。
(※)正式な行事名は「ビルマ方面戦没者並びに物故者慰霊大法要」。今夏は第59回。
敦賀駅で乗り換えて小松駅へ向かう新幹線内でも、お弁当とカップ酒を購入して一人で早夕食を楽しみたくて、乗り換え時間8分ではなく38分を選んだが、お腹が空いていなくて売店で買いものをしなかった。
敦賀駅のホームで、列車に乗るまでの待ち時間が長くて熱中症で倒れるのではないかと思ったほど暑かった。
でも列車に乗りさえすれば涼しくて快適。
今回、指定席を買って正解だった。4月に母の33回忌で大阪へ出かけたときはガラ空きだったのに、今回は往復混んでいた。
また余談だが……お寺が毎年発行している情報紙を持参して、車内で読んだ。成福院の院主さまは明春、高野山金剛峰寺第五百二十六世寺務検校法印に御昇進。弘法大師の御名代として1年間、高野山の重要な儀式・行事を執り行う役職に就かれるとのこと。
そういうお方と長年懇意にして頂いていることに兄は大層感激して、ほんの気持ちだけでもお祝いをしたいと祝儀袋を購入し、執事さんに渡していた。
私は数十年、仕事関係者・友人・仲間・知人の皆さまに、定期的に「はがき通信」をお届けしているので、7月末ごろ郵送した夏号にお祝いのコメントを書き添えた。
昨年は高野山で1泊、下界に下りて大阪で1泊=計2泊の旅を楽しんだが、今年は高野山の1泊だけで帰宅した(エアコンを「送風」にしているが留守番しているネコが心配で…)。
暑くて少々疲れたが、兄との幸せなプチ旅だった。