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noteと、わたし②

 というわけで、流れてきたとあるnoterさんの記事を開いて読んでみました。
 冷静そうなのに、なんとなく笑っていそうな、文章。へぇ~、こんな感じの人が、いらっしゃるものなんだな。
 つまり、とてもいい方なんだろうな~、と思いました。(たぶん、この辺りで、ご本人が読まれたら、全力否定されます😊😊。)

 わたしも、あんまり人を褒めるのって本当は良くないと思います。どうしても褒めたくなるけど、褒めるのは、場合によっては、というより、多くの場合は、支配と束縛ですよね?どんなに善意の褒め言葉でも、受け取る側は余程気をつけていないと、うれしいだけに、それに影響されてしまう気がします。聞いて、喜んで、ちゃんと手放す。褒められる側にも、技術が必要ですよね。
(だからといって、それが全くないと、それはそれで人間らしい交流も生まれず、やはり退屈なだけの生活になってしまう。主婦として家の中でだけ、子どもたちとだけ暮らしていたら、そういうこともよく分かります😊。)

 それに、誰かを褒めると、周囲の人の羨望や嫉妬の感情を煽りもしますよね。だから、ただ、そのように感じたというだけのことです。ほかの人に対しても、わたしだってだれだって、いろいろなことを感じとります。誰かにだけ感じるわけじゃなく。たまたま今、その人に向かって感じているだけのことですよね。
 羨望や嫉妬も、自分で、おっ!と気づいて、ちゃんと公平な心を取り戻す。周囲の人にも、技術が必要ですよね。
 って難しいけど、歳を取るごとに簡単になりますよね?

 というようなことを、とある仏教に関する動画で言っていました。

 古いほうの学校の、ソフテニ部副顧問先生が高校生だった頃の授業で、高校生たちと一緒に見たNHKの動画。(ソフテニ部副顧問先生は、職員室のわたしのお隣の席の、数年前の教え子です😊)
 先日、なにかのことで苛立っていた他の先生(10歳以上年上の)に向かって、ソフテニ部副顧問先生がそれと同じようなことを力説していました。
「だからー、いらいらしてるな~って、気づいて、手放すんですよ。そしたらいいんですよー」、とかなんとか。
 おや、もしかして、授業で見た動画のことを覚えているのか?
と、思って内心、にこにこしてしまいました。いつだったか、
「先生の授業は、なんか覚えているんですけど」
みたいなことを言っていたのは、これか?あの言葉は、数%はほんとだったのかな。まあ、一番前の席だったし。

 さみしさも、かなしさも、感じて、手放す。


 それで、とあるnoterさんのアイコンをクリックして、たぶん、適当にどれかの記事をもう1つ(かそれ以上だったかも)選んで、読んで、やっぱり、性格の良さそうな方だなあ、と思いました。おそらくの性別以外、年齢もなにも分からない状態です。
 当時、あまりnoteに慣れていなかったのもあって、つい読みたい方の記事をいきなり連続して読んでしまったりする、もしかしたら相手をぎょっとさせたかもしれないわたしでした。最初は、1つか2つにしておきましょう、びっくりするかもよ?です。


 でも、確か、そのとあるnoterさんからは、それほど(たぶん)引かれず、ちゃんと、お返しのスキをいただいたんだと思います。でも、あまりそういうことも気にしていなかったので、もしかしたら、返事が来ようが来まいが、単純に行っては読んだのかも、です。

 続きはまたにします。


 昨日は文化祭の振り替えで、お休みのとある女子中学生。
 お昼ご飯にラーメンを要望されていたのに、材料も買ってあったのに、なぜかスパゲッティが出来上がってしまって、
「アナタ近頃呆けすぎよ~。」
と言われてしまいました。
「召使いを雇いなさい。ちゃんと言われた通りのご飯が作れるような~。」
だそうです。お母さんは今、ネット世界の怖さを初めて知って、おかしくなっているんだから、代わりに作ってよね、と言えるものなら言いたい。今日仕事なんですけど、…行けば、ちゃんとスイッチが入るのかな…。


 昨日の午後、不思議な現象が起きていることに気づいた。どういうことなんだろう……。


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