抽象的な話
わたしがフォローしている二人の(たぶん)女性のnoterさんの記事を読んで、瞑想タイム。
・・・・
結局わたしは、人間社会という共同体の中で、複雑にわたしに課されている役割を果たしているだけなのかな。
若いころには、若いころの、全力疾走のような仕事。体力勝負で、量と質をこなしていくような。
本能に、社会に、急かされるようにして、子孫を再生産。
社会を維持するために、とある者たちが次世代の役割が担えるように、振り返れば、全力を注いで、必死になって、知らず知らずに訓練してきました。
とある者たちが軌道に乗るにつれ、またそれをだんだんに手放して、今度は、今までの経験を記憶したわたしに、同じようだけどちょっと角度の違う役割が課されるようになりました。よく分からないけど、母親経験者みたいな顔をして、もう一度昔やった仕事を、別の角度から、違う量でこなしはじめました。
わたしは、自分では自由だと思ってここまで来て、間違いなくだれに言われて選んだわけでもなく、ふつうの意味では100%自分の意志で選んできたのだけど、振り返ればそうでもないことに、がっかりするような気もしなくもないです。子どもが「どの色のプリキュアのマスコットにする?」と訊かれる程度にしか、結局は選んでなかった感じです。
でも、結局、共同体?種?に必要なものは、社会的な圧以上に、本能として、わたしの中にしっかり埋め込まれていて、それを実現していくことが、ただ、安心だからという以上に、なにより幸せに感じるように、脳内物質が放出されるように出来ているのか、喜びだったりするのも間違いないです。それは、人によって違ったように配合されているかもしれなくて、それに従うことは幸せだし、それに逆らうことは不幸せ。
自分の気持ちに正直に生きる、なんて、よく聞くフレーズだけど、それって要するにそういうことで、自分に課された役割をちゃんと生きる(そんなこと出来るかどうか不明ですが)、ということに行き着くような気さえします。
それぞれの人に課されていることは違っていて、わたし自身、一番分厚い層にいないし、十分中心っぽいところから外れているな~と思うけど、そんなわたしよりもっと稀少な役割の人もいて、きっと人と違うことに苦しくなったりするんだと思います。でも、それも課された役割で、後になって考えてみたら、「ああ、わたしに課されていたんだな、この役割が。」と、妙に納得するんではないかと思ったり。
だから、いいも悪いもないんだけど、わたしは女性として生まれてきたからには、女性でも良かったと思っています。それなりに大変でも。今この瞬間はそう思っている、というだけですけど。
こうしてわたしがなぜか、毎日のようにnoteに何かを書きたくなるのも、もちろんわたしは自由意志で楽しくてそうしているのだけど、砂粒のようなわたしの、なにかの役目を課されているのかもしれない、と思ったり、思わなかったり、思ったり。
なぜそんなにがんばって、人間社会を維持しようとしているのか、それは謎ですね?それが一番謎です。
・・・・
瞑想終了! お疲れさまです。せっかくの土曜に書くような話でもないんですけど。
話はずれますけど、見出し画像は、荘子の「胡蝶の夢」っぽくて、かわいいな~、と。意外と内容に合ってません?ありがたいことです!