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閻魔帳

 さかな組の授業を終えて、はるばる準備室に戻ってきて気がついた。

 あれっ??閻魔帳がない!

 慌てつつも間違いなくこれは、さかな組に置いてきたな、と思って、3階から階段を走り降りた。
 教員の閻魔帳って、言うなれば主婦のお財布のようなもの。ムーミンママのハンドバッグのようなもの。ふつう、どこにも置き忘れない💦💦💦。

 渡り廊下から見ると、さかな組、カーテンが閉まっていてよく見えないけど、灯りが点いていない。
(これはたぶんもう、体育館に行っちゃったな。次の時間が体育で、男子た
 ちが着替えるから、わたしも慌てて教室から脱出したんだったから。)
と教室の前まで走りながら思ったけど、やっぱりそうだった。
 ……鍵が閉まっている。

 が~ん💧



になっていてもしかたがないので、職員室まで行ってみたけど、はて?教室の鍵って、どうやって開けるのだろう?と、首をかしげた。


 でも、斜めになっていても仕方がないので、誰かに訊こうと思ったけど、閻魔帳を教室に忘れるなんて、めったな人に訊けないな~、また教科に訊くように言われても困るな~と、思いながら、一番近くの席に座っていらっしゃった、若い女の先生に近づいて、

わたし:……あの~、ちょっと訊いてもいいですか?
 教室の鍵って、どこにあるのか分かります?
 教室に閻魔帳を忘れてしまって……。

若い女の先生は、なんのことか理解できなかったみたいで、一瞬顔を曇らせたように見えたけど、すぐ察したようで、

若い女の先生:あ、教室の合鍵ですか?

と、鍵のあるところまで職員室を案内してくださった。あの3行で分かってくださるなんて、なんて察しの良い人なんだ。閻魔帳を忘れたことがあるのかな?

 鍵を見つけて、お礼を言って、いちおう、誰もいない鍵の掛かった教室に、半部外者であるわたしが一人ではいるわけだから、黙って勝手に入るのも何なので、その先生に、

わたし:これこれで、人のいない教室に入らなきゃ行けないんですけど、
 わたし、非常勤なんですけど入ってもいいんですかねぇ?

とつぶやいてみると、

若い女の先生:じゃあ、ついて行きましょうか?
わたし:え?でも、先生お忙しくないの?ですか?
若い女の先生:いいえいいえ、次空き時間です。大丈夫です😊

と、ついてきてくれた。

 教室まで、誰もいない廊下を歩いて行きながら、
  (まあ、なんて親切なんだ)
と、喜びながら、内心、
  (すいませんね~、あなたよりはるかに年上なのに、頼りない非常勤
   講師で……)
と思っていると、なんと彼女のほうが、
「すいません、わたし、頼りなくて……」
と、何度も繰り返し始めた。わたしに迷いなく答えられなかったことに、自責の念を感じている様子。

 (えーっ、なんで?
  察しも良く、細やかで、こんなに役に立っているのに??
  頼りなくてすまないのは、閻魔帳を置き忘れてきたわたしのほうよ?)
と驚いたけど、聞けば彼女は新任さんで、日々自分の無力感とたたかっているそう。どうりで生徒みたいに若いと思った。

 「あ~、分かります!わたしも、日々自分の無力感とたたかっています!」
と答えたけど、あまり本気にされていなさそうな雰囲気。すごく本気なんだけど、歳を取っているだけで、若者には余裕そうに見えるんでしょうね?
 だけど、わたしが新任のころなんて……、
……

……

……

あまり思い出すのはやめておこう。メンタルに来そう。


 わたしなんか先生になりたい、と強く思って教員になったわけではなく、単に不況だったからこの仕事に就いたのだけど(かといって嫌だったわけではないです。就職先があるだけで、ああ、よかった、と思える時代でした。)、逆にそれほど仕事に対する強い自負とか憧れと現実のギャップもない。
 未だに毎日緊張するし、後ろ向きな気持ちにもなるし、わたしはこの仕事に向いてはいないな、と思っているけど、なぜか仕事はたのしい、とも思う日々……。やっていれば何とかなる気がしなくなくもない。
 だけど、わたしが今そう言ったって、救われもしないよね。かえって落ち込ませてしまうのが、落ち。


 と、思いながら、教室に到着。

 鍵を開けて、閻魔帳を探す。
 が、教卓の上に……、ないやん!どうしよう??
とひとりで狼狽えたけど、教室の課題提出のかごの下敷きになっていた。下敷き事件の犯人はもちろんわたし💧。
(すいません、ほんとに頼りなくて。)

 鍵を閉めて、廊下を戻って、職員室へ戻り、わたしが鍵を元の場所に戻すまでちゃんとつき合ってくださった彼女。忙しい最中、若いのにこんなに人につき合ってあげられるなんて、先生の資質十分じゃない?2歳児のお母さんでもいけるんじゃない?

 と思うのに、その間もことあるごとに、「すいません、わたし、ほんとに頼りなくて」を繰り返し、最後にわたしがもう一度お礼を言うと、最後の一回をもう一回繰り返している。
 やっぱりこのセリフ、彼女ではなく、少なくとも今はわたしが言うべきものじゃないのかな?と思って、心の中でにまにましてしまう。かわいい😊

 でも、まあ、彼女が、学校にしてはちょっとクールなこの新しいほうの学校の職場環境で、気が済むまで「すいません、わたし、ほんとに頼りなくて」を言えたんだったら、わたしも間の抜けた非常勤講師冥利に尽きるのかな、と思った。

 

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