もうひとつの物語の世界20 ぼくは タコのカイトや まけへんぞ!
ぼくは タコのカイトや まけへんぞ!
大海(おおうみ)水族館の大水槽(だいすいそう)で、ジンベエザメの甚平(じんべい)さんはゆうゆうとおよいでいた。
「甚平さーん。」
「おう、カイト、のりたいんか?」
甚平さんは、ぼくがせがむと、いつもぼくを背中にのせて泳ぎながら、大好きな海の話しをきかせてくれる。
ぼくは、この大海水族館でうまれたタコや。
そやから、いちども海にいったことがないんや。
飼育員(しいくいん)の浜(はま)ちゃんが、大空を自由におよぐ凧(たこ)から『カイト』と名前をつけてくれた。
ぼくは、いつかこの水族館をでて、でっかい海で自由に生きていくのが夢や。
でも、イカの花子おばちゃんも、ちょうちょう魚のバタやんも、
「せっかく、ここでうまれたんやから、ここにおったらええのに。」
と、反対する。
甚平さんはちがうで、
「ぼうず、夢がかなうといいな。」
いつもおうえんしてくれる。
今朝、ぼくは、甚平さんにだけ、そっと秘密をうちあけた。
「甚平さん、じつはなあ、これから水槽(すいそう)をぬけだそうとおもてるんや。」
甚平さんは、ぼくの気持ちをしってる。
「そうか、海にいくつもりだな、がんばれよ。」
ぼくは、だまってうなずいた。
その日の昼すぎ、だれもいないときに、吸盤(きゅうばん)をつかって、こっそり水槽をぬけだした。
排水溝(はいすいこう)にそって、コンクリート通路をぬけて中庭にでたら、きゅうに目のまえに大きな海がひろがった。
「うわー!海や。」
感動で身体がふるえた。
でも、そのとき、飼育員の浜ちゃんが、ちょうどぼくをみつけて、
「あかん、カイトがふるえて死にそうや。」
あわてて、水槽にもどしたんや。
残念や!
甚平さんに話したら、大笑いしてた。
その甚平さんが、こんど海に帰ることになったんや。
びっくりや。
「なんでや?」ってきいたら、
「ジンベエザメは、いずれ海にもどすのが、水族館の決まりなんや。」
「うらやましいなあ。
さみしなるなあ。
そんなん、ふこうへいや。」
文句をいったら、
「いっしょにいくか?」
片目をつぶって笑ってた。
出発の日の朝、甚平さんが会いにきた。
「カイト、おわかれや。
どうした、泣いているのか?」
「僕もいっしょにいきたい。」
「海はなあ、大きいだけやないで、怖いところやし、生きていくのもきびしいところや。それでもいきたいか?」
甚平さんの目は笑ってない。
ぼくは、しんけんにこたえた。
「ぼくはタコや。
いざとなったら、じぶんの足をたべてでも生きていく。
ぜったいに、まけへん。」
甚平さんは、ニッコリ笑って、
「そこまでいうなら、つれていってやる。」
大きな口で、パクッとぼくをのみこんだ。
びっくりした。
「じっとしとくんやで。」
甚平さんの口の中は真っ暗でなにもみえへん。
ぼくは、しっかり口の中にへばりついてた。
そのうち、つかれて眠ってしもた。
きっと、夢をみてたんや。
飼育員の浜ちゃんが、『カイト、どこにおるんや?』と心配してさがしてる。
大好きな飼育員の浜ちゃんと別れるのは、つらい。
ぼくは、なんども夢の中で『ごめんな。』とあやまってた。
目がさめたら、大きく開いた口から、明るい光がさしこんでる。
ツーンと潮のかおりがして、ザブン、ザブンと波がはいってくる。
ぼくは、あわてて甚平さんの大きな口から出て、背中にのった。
「うわ、海や!
海って、こんなに大きいんか?」
「そうや、これが大海原(おおうなばら)や。」
「どこをみても、海、海、海や!」
「そうや、海はとてつもなく大きい、これからながい旅になるぞ。
カイト、しっかりつかまっていろよ。」
甚平さんは、大きな身体で、大海原(おおうなばら)をゆうゆうとおよいでいく。
―あかん。大きすぎる、海にまけそうや。
身体が、震えてきた。
―これは、武者震(むしゃぶる)いや!
ぼくは、腹の底から、おもいっきり叫んでやった。
「ぼくは タコのカイトや まけへんぞ!」