コムデギャルソンとわたし
1.ただお片付けを始めただけ
あまりにも家が汚いので、片付けを始めたのである。
断捨離、という言葉の響きは
ザクザクしててあんまり好きじゃないんだが
まぁ側から見れば、いろいろ持て余して、断捨離してるオバサンなのだろうと思う。毎週、ゴミの日にいつもより、ゴミ袋一つか二つ多く捨てていく。
それ以上は無理だ。
人によるとは思うけど、私には無理。
根気が続かないし、捨てるという作業は
思い出と現在を行ったり来たりする作業で
まるで精神科医の仕事そのもので
休みの日にどっぷり仕事モードになる、
なんてだいぶしんどいし勘弁してほしいから。
2.出てくるコムデギャルソン
さて。私にはコムデギャルソンにハマってた
というか溺れていた時代がカレコレ20年くらいあって、ここ7.8年くらいは封印してるけれども本当にだいぶだいぶ買った。
正確にいうと買っては売り、売っては買う生活だった。もちろん、このやり方は最悪で、
出てく方が圧倒的に多い、超焼き石に水のやり方なんだが。欲望と罪悪感の狭間で自転車操業してたなぁ。
あの服たちの分を貯金してたら、留学もリフォームも海外旅行も全然できたのにな、老後とか心配が減ったのにな、というくらいの額は使った。あぁ。
が、この捨てるという作業の中で、クローゼットの中の眠っていた手放すにも手放せなかった数少なくなったコムデギャルソンやジュンヤワタナベを見直していたら、
なんとなんとなんと!
ちゃんと虫除け保存していたつもりが穴が発生してるではないか…
特にお気に入りだったジュンヤのワンピは
3枚も穴あきだった…
ギャルソンだから穴あきでも行けるかと
某買取店に見てもらったが
1番傷んでると思ってた
2番目につまらないデザインの1着のみ買取可、
という始末。
圧倒的にデザインの素晴らしい一枚が
0円、というのは泣けた。
が、ニットゆえ直すとなるとだいぶかかる。
小穴たくさんなのでとても大変そう。
なので!あきらめてそのまま着ることにした。
着てみると、やっぱり良い。
とてもうつくしい。(服が)
退屈しない。自分らしい。戦える。
というか、今の方が似合う気がする。
3.コムデギャルソン を着るということ
というわけで、それを機会に
昔のギャルソンを毎日着るようになった。
高いだけはあって20年以上昔の服でも
全然普通に着れる。
たとえば
昔のウールのダッフルコートは重くて毛玉もできるし猫の毛がつくし手入れも大変だ。
でも、シンプルだがシルエットがきれいで、ちゃんと暖かい。
そもそもこのコートは好きすぎてたくさん着ていたので3回くらいボタン周辺がダメになってリペアに出した。もうダメかな、って思っても担当の人が励ましてくれて数週間後に綺麗に直してくれて。捨てられるわけがないでしょう。作ってくれた人たちが何回も直してくれた服を。
それ以外のデザイン性の強い服も、それぞれに思い入れがある。書き始めると止まらないし
同時に売ってしまって悲しい思い出もたくさん思い出すのでとりあえず省略。
人によっていろいろ意見はあるだろうし
私はこんだけ買ってもギャルソンマニアだと思ったことは一度もないし布マニアでもファッションマニアでもないので、まぁ、私がコムデギャルソンを着るとどうなるかという話。
まず、何も考えずに服を着ることがなくなる。
服がねじれてたり、不思議なところから顔を出さないといけなかったり、ひっくり返したり裏返したり、試したくなるのがギャルソンだ。自分に似合うように普通にギャルソンを着るのは私のような普通の人には工夫が必要なこともある。
虫食い作っといてなんだけど
高いせいもあってちゃんと服の手入れをするようになる。
クリーニングするとダメになりそうなものも多いので、なるべく綺麗に着るようになるし、アイロンがけもしてみたり、ちょっとしたほつれなら、なんとか直そうとなれない裁縫もやってたな。
つまり、ギャルソンを着ると、着ることにしっかり向き合うようになる。服に責任を感じるようになる。自分に向き合うようになる。ヒトに何を言われても面白いと思えるようになる。服をきっかけにひいて行く人もいたかもしれないが、会話が広がることもある。服に騙される人と私の本質を見ようとする人の違いがわかるようになる(気がする)。そして自分がいかに他人の外見しか見ていないかということも。自由であると同時に自分の限界みたいなものも。
4.捨てることはさておき、おわりに
高いのにモテない!っていつもギャルソンの担当さんを困らせてた私が、セレクトショップあたりのコンサバまだモテたいです服(仮称)から、チュールやフリル満載の「黒のびらびら服」「魔女服」(と、患者さんに言われる)に日に日に戻っていくのは、退化なのか進化なのか本当のところはわからない。
ただ自由である。
お金的には不自由になるが、自分らしくいられるという意味でかなり自由だ。
先日、娘とケイニノミヤに行って(アレ?)娘が試着室から出てきた時の私の顔を見て
「その顔だよその顔!その笑顔は、ママがギャルソン着た時の顔!やっぱり、ママはギャルソン着てた方がいい!」
って言ってくれたのは、複雑だったけど嬉しかった。
もう、昔みたいには買えない。
でも。
わたしがわたしでいるために。
明日も何ヶ月後かに買いに行ける日まで
がんばります!